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更新日:2025年11月9日
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少年戦車兵慰霊碑(富士市神戸)
1943(昭和18)年3月、富士郡上井出村にあった陸軍少年戦車兵学校の少年戦車兵第二中隊160人が、夜間訓練のため御殿場演習場を目指して出発しました。神戸橋付近で、そのうちの1台が進行方向を誤り、滝川の12メートル下の谷底へ転落しました。
乗車していた4人の少年兵のうち、大地好道少年兵(広島県三原市出身。当時18歳)が亡くなりました。地域の人が総出の作業で、ほかの3人は軽傷で助かりました。
当時の道路は狭い砂利の馬車道でした。前を行く戦車による砂ぼこりと、道路の急カーブ、路肩の軟弱が重なり事故となりました。
少年兵とは
普通、兵士は20歳の徴兵検査で入隊するものでしたが、少年兵は、小学校高等科卒業後15歳で志願し、訓練生となる制度でした。戦車兵、飛行兵、通信兵など、各種ありました。
慰霊碑の建立
同年11月に慰霊の碑が建立されました。碑文には、亡くなった大地さんの歌、「霊峰の富嶽のもとで 大君の盾たる 戦技今日も磨かん」が刻まれています。