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更新日:2025年5月15日
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目次
-平和を考える- 戦争の歴史をたどるMAPと戦争遺跡等説明看板
「-平和を考える- 戦争の歴史をたどるMAP」
昭和60年11月19日、富士市は核兵器廃絶平和都市を宣言し、令和2年で35周年となりました。
市内にある戦争遺跡等を通じて、平和について考えるきっかけとしていただくため、35周年を記念して「-平和を考える- 戦争の歴史をたどるMAP」を制作しました。
配布場所
市役所8階シティプロモーション課、市役所2階総合案内、図書館(中央、西、東、富士文庫)、各地区まちづくりセンター
【掲載内容】
- 核兵器廃絶平和都市宣言文
- 市内にある戦争遺跡等の写真と説明、位置図
- 米の宮公園に植えられた被爆二世クスノキとアオギリの紹介 ほか
戦争遺跡等を訪れる際はご注意ください!
戦争遺跡等の中には、私有地または悪路を通らなければ行けない場所があります。私有地への無断侵入や違法駐車などの迷惑行為は、絶対にしないでください。また悪路を通行する際は、事故に気をつけてください。
戦争遺跡等説明看板
市では、市内にある戦争遺跡等を説明する案内看板を順次設置しています。
このページでは、看板の写真と説明文を掲載し、紹介します。
※なお、見出しにある番号は、「-平和を考える- 戦争の歴史をたどるMAP」に記載された紹介番号です。
3 開拓記念碑
この辺りは、昭和19年(1944年)から陸軍富士飛行場用地として使用されていました。戦後、開拓事業として元の土地提供者が中心となって入植し、10年余の歳月をかけ、その努力により元の緑の田畑に復旧しました。この碑は、開拓事業10周年を記念して、元富士開拓農業協同組合が建立。令和2年(2020年)、現在地に移設されました。
設置場所
森下:富士南まちづくりセンター敷地内南西角
5 大芝裁縫女学校跡
大芝裁縫女学校は、太平洋戦争による労働力不足を補うため、国策として女性を軍需工場へ送り込む「女子挺身勤労令」のもと、昭和19年(1944年)5月廃校が決定。校舎は解体し、資材は旧清水市の工場宿舎に使用され、卒業生は市内印刷工場に女子挺身隊として送り込まれました。昭和62年(1987年)、卒業生の有志により同校跡地に記念碑が建立されました
設置場所
水戸島元町:市営駐車場敷地内南東角
6 空襲で破壊された鳥居跡
B29爆撃機による本土空襲が繰り返されていた昭和20年(1945年)4月9日、米軍機が投下した爆弾が中桁神明宮の鳥居近くに落下しました。
ものすごい爆風のため、近くの民家は一瞬にしてつぶれ、一家5人が亡くなりました。投弾は、中桁、長沢、片宿などの9か所におよび、重軽傷者や家屋の被害も出ました。このとき、破壊された鳥居の一部が、現在も残っています。
設置場所
中桁:中桁神明宮・中桁区公会堂敷地内
8 少年戦車兵慰霊碑
昭和18年(1943年)3月、当時、富士郡上井出村(現富士宮市)にあった陸軍少年戦車兵学校の生徒(当時18歳・広島県出身)が、夜間訓練中に操縦を誤り、戦車ごと神戸橋近くの12メートル下の滝川に転落し、殉職しました。大事故であったため、近くの住民も総出で救助に協力しました。
同年11月、慰霊の碑が建てられました。
設置場所
神戸:神戸小学校北西、神戸橋交差点ポケットパーク
9 同じ形の石碑が並ぶ軍人墓地
旧須津村の遺族会によってつくられた軍人墓地には、同じ形の石碑が224柱建立され、戦死した人々を弔っています。
毎年、秋のお彼岸の中日には、遺族会とともに地元の連合町内会がここで慰霊祭を行い、平和への祈りを捧げています。
設置場所
神谷:須津川緑地内北西
10 被爆二世アオギリ
このアオギリの「親木」は、広島で被爆の惨禍に遭いながらも、焼け野原の中で青々と芽を吹き返し、広島の人々に生きる勇気と希望を与えました。
平成27年(2015年)11月、富士市が核兵器廃絶平和都市宣言をしてから30年の節目を迎えたことを記念して、「被爆アオギリ」の種から発芽した苗木を「平和首長会議」から頂き、植樹しました。
設置場所
米之宮町:米の宮公園内 ぐるん・ぱ よねのみや前
11 被爆二世クスノキ
米の宮公園には、2本のクスノキが植えられています。このクスノキの「親木」は、長崎で原子爆弾を受けても青々と芽を出し、長崎の人々に生きる勇気と希望を与えました。
1999年、富士商工会議所の人が長崎に行き、「被爆クスノキ」の種から芽が出た苗木を富士市に持ち帰り、2001年8月9日(長崎原爆の日)に、米の宮公園に植樹しました。
設置場所
米之宮町:米の宮公園内