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更新日:2025年11月9日

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富士への学童集団疎開

15年戦争の末期、戦局の悪化によりアメリカ軍の空襲が迫るなか、大都市に住む国民学校初等科(小学校)の子どもたちを地方に移住させる集団疎開が行われました。1944年(昭和19年)8月には、ここ富士市にも東京から1,200人以上の子どもたちが集団疎開しました。

富士市への学童集団疎開
中原国民学校(288人) 実相寺、瑞林寺、一乗寺
京陽国民学校(約400人)  唯称寺、大運寺、本国寺、延妙寺、妙祥寺
杜松国民学校(250人)  金正寺、成安寺、常諦寺、延命寺、法源寺
神宮前国民学校(114人)  永明寺、清岩寺
中幡国民学校(162人)  円通寺、松雲寺、真豊院 等覚寺

 

 子どもたちは、本土決戦に備えた軍隊配備のために、翌1945年6月には青森県へと再疎開します。集団疎開は敗戦をはさみ1946年10月頃まで続きました。その間親元から離された子どもたちは、疎開生活の中でホームシックや空腹、ノミ・シラミ、いじめなどに苦しみました。
 
 

 

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