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更新日:2025年11月9日
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富士にもあった空襲
爆弾投下で破壊された神明宮鳥居跡(富士市伝法 中桁)
1945(昭和20)年に入ると、太平洋のグアム島、テニアン島、サイパン島のアメリカ軍基地から連日B29編隊による全国各地への空襲が激しくなりました。
3月10日の東京大空襲をはじめ、6月から7月にかけて、県内では、浜松、静岡、清水、沼津の市街地の大半が空襲で焼失しました。
次は富士町、吉原町も狙われるとのことで、建物の強制疎開で延焼を防ぐ取組も始まりました。
米軍機は富士山を目標にして、東の東京方面、西の名古屋・大阪方面へと飛来するので、富士では連日のように警戒警報が発令されました。
大淵村森林組合日誌(1944(昭和19)年6月から1945(昭和20)年8月まで)によると、1945年4月から7月にかけて多くの警戒警報・空襲警報が発令されました。
富士市の空襲被害
| 1945年4月9日 | 敵機来襲被弾1人 金刺らく右腕切断ス(富士町役場日誌から) |
| 1945年4月9日 | 敵機一機飛来、中桁へ投弾。古谷宅家屋全焼、5人死亡。神明宮鳥居倒壊、その他重傷3人、軽傷2人、家屋被害30か所に及ぶ。中桁、片宿、長沢等へ投弾9か所(富士町役場日誌から) |
| 1945年7月25日 | 小型機約15機来襲。元吉原、大昭和、田子浦飛行場、蒲原軽金属方面、機銃掃射及び小型爆弾、攻撃を受け、軽金属火災発生(富士市消防70年史から) |
| 1945年7月30日 | 田子浦飛行場をはじめとし、大・小編隊、間断なく来襲、P51小型機十数機来襲。本攻撃、日産、東芝、大昭和鈴川工場、田子浦飛行場、田子浦小須海岸過部落に機銃掃射。爆弾投下被害相当のものあり(富士市消防70年史から) |