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更新日:2025年11月9日
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富士市の戦没兵士たち―昭和の15年戦争に見る
15年戦争
明治維新後の日本は、国の近代化を進める中で、ほぼ10年ごとに大きな戦争を繰り返してきました。その行きついた先が、昭和の15年戦争です。
1931(昭和6)年の満州事変に始まる中国への侵攻は、1937(昭和12)年には全面的な日中戦争となり、現在の富士市域からも多くの若者が兵士として戦場に動員され、3,000人を超える兵士が戦死・戦病死しました。
日中戦争は1941(昭和16)年にアメリカやイギリスなどとの戦争に拡大し(アジア・太平洋戦争)、さらに多くの人々が兵士として遠い戦場にかり出され、死んでいきました。
しかし、この15年戦争でアジアの国々(中国をはじめ朝鮮・フィリピン・ベトナム・インドネシアなど)では、日本人の何倍もの犠牲者が出たことを忘れてはなりません。
戦没時期と人数
| 満州事変 1931年から1937年 |
日中戦争 1937年から1941年 |
アジア・太平洋戦争 1941年から1945年(戦後を含む) |
不明 |
| 20人 | 327人 | 2,705人 | 56人 |
(遺族の戦後の転出のため、戦没兵士数は概数です)
富士市出身の兵士たちは どこで戦死したのか
圧倒的に多いのが中国(「満州」を含む)で、926人です。昭和の長い戦争は日中戦争が中心でした。次に戦死者が多いのがフィリピンの514人で、さらにビルマ(現ミャンマー)137人、スマトラ、ジャワ、ボルネオなど(現インドネシア)の74人です。
また、ニューギニア、ガダルカナル、ソロモンなどの地域で322人、中部太平洋地域(サイパン、グアム、マーシャルなど)では303人が戦死しています。