恋愛もので、わが国の最も古い小説が竹取物語だといわれています。 皆さんがよく知っている竹取物語は「ある日竹取の翁が、竹の中から1寸余りの少女を授かり、かぐや姫と名付け、美しく成長した。姫は5人の貴公子から求婚されながらも、無理難題をいって断り、時の帝のお召しにも従わず、月の世界に帰っていく。」といった内容だと思います。かぐや姫の伝説には諸説がありますが、富士市に伝わる物語は多少内容が異なっていることはご存知でしたか?では、そのひとつをご紹介しましょう。 |
いかがでしたか?この話は、明治17年に村々の情勢を報告した「皇国地誌編輯(こうこくちしへんしゅう)」比奈村古跡(ひなむらこせき)の条に記されている物語をもとにしています。 このほかにも富士市には、白隠禅師(はくいんぜんじ)の「無量寿禅寺草創記(むりょうじゅぜんじそうそうき)」(1718年)の中にも竹取物語が記されています。 これには、「寺は雲門と名づく、赫夜姫(かぐやひめ)の誕育の跡なり、竹取翁の居所なり」と記して物語は始まります。 しかし、この物語には、前述の「皇国地誌編輯(こうこくちしへんしゅう)」と大きく異なる部分があります。かぐや姫は天子の求婚を振り切るために、岩窟に隠れ、コノシロ(小魚で、あぶると屍臭を発するといわれるもの)と綿の実を焼いて、姫が死を選んだと思わせました。その後、かぐや姫は富士山頂の岩窟に身を隠すと、いつしか、人々はかぐや姫のことを「浅間の大神として敬い、富士山のご神体であると思うようになりました。 このように、富士に伝わるかぐや姫伝説は、富士山と深いかかわりをもつ特徴があるようです。 竹取伝説が伝わる、比奈の竹採公園には、白隠禅師の墓や「竹採姫」と刻まれた石碑が残されています。また、翁と 姥が住んでいたといわれる「竹採屋敷」、かぐや姫が富士山に帰った道とされる「囲いの道」、別れを惜しんで振り返ったとされる「見返し坂」という坂があります。このほか、「籠畑」・「かぐや姫」と呼ばれる地名も残っています。 |