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更新日:2025年5月15日

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目次

 

源頼朝の伝説

富士市内に残る源平の合戦にまつわる史跡等を紹介しています。

富士川の合戦

治承4年(1180年)、都から伊豆に流されていた源頼朝は、以仁王の平氏追討の令旨を受けて挙兵すると、都から派遣された平氏軍と富士川を挟んで対峙しました。
水鳥が一斉に河沼を飛び立つ音を源氏軍の夜襲と誤認して、一太刀も交えず平氏軍が撤退したという伝説は有名です。
富士川の合戦時、源氏軍は富士川東岸の富士市域に布陣しており、市内各地で頼朝や源氏方の武士の伝説が史跡とともに残されています。

平家越


平家越の碑

富士川の河沼から水鳥が一斉に飛び立った音を、源氏軍の夜襲と勘違いした平氏軍が逃げ帰った場所とされています。この付近にはかつて「平家越」という小字がありました。

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横割八幡宮


横割八幡宮の境内

富士川の合戦のとき、頼朝が弓矢と馬を奉納し平氏追討の戦勝祈願をして成就したとの伝承から、村では霊験あらたかな神様であるとして篤く信仰されました。

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日吉神社


日吉神社の境内

富士郡鮫島村出身の鮫島四郎宗家の氏神です。宗家は頼朝が韮山で平氏追討の旗揚げをしたときから頼朝に仕えた武士で、富士川の合戦では道先案内をつとめたと考えられています。

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和田神社


和田神社の境内

鎌倉幕府で全国の御家人を統制する侍所の初代別当(長官)をつとめた和田義盛の功績を称え、義盛をここに祀ったと伝えられています。義盛は富士川の合戦でこの辺りを守ったとされています。

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呼子坂


呼子坂の麓

清岩寺門前にある急勾配の坂を呼子坂といいます。源氏軍が高地に陣を敷き、この坂の上から呼子の笛を吹いて兵を集めたと伝えられています。大正期に原田村の青年団によって碑が建てられました。

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鎧ヶ淵


鎧ヶ淵親水公園の入り口

富士川の合戦のとき、頼朝が鎧を淵の岩にかけて身体を洗ったので、鎧ヶ淵と呼ばれるようになったと伝えられています。

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