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更新日:2026年5月7日

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目次

 

市指定史跡・須津千人塚古墳から出土した帯金具について

このたび、市指定史跡・須津千人塚古墳の発掘調査で出土した金銅製品について、6世紀後半から7世紀前半頃の朝鮮半島・百済にルーツを持つ、極めて装飾性の高い帯金具(ベルトの金具)であることが判明しました。百済特有の繊細な文様や高度な金工技術を備えた同時期の帯金具が、これほど良好な状態で確認された例は全国的にもありません。

期間限定展示

貴重な本出土品を広く皆さんにご覧いただくため、富士山かぐや姫ミュージアムにて一般公開を行います。

展示期間令和8年5月9日(土曜日)から5月24日(日曜日)まで。

なお9日と24日の午後1時から文化財課職員による解説・ミュージアムトークをおこないます

帯金具集合写真

出土経緯

市指定史跡である須津千人塚古墳の整備工事に伴い、令和6年度に実施した発掘調査で出土した金属製品について、令和7年度に静岡県埋蔵文化財センターにおいて保存処理をおこなった結果、新たに本資料の内容が明らかになりました。
なお、現地の古墳と石室については令和7年度に整備工事が完了し、現在、一般公開をおこなっています。

特徴

いずれの出土品にも、蹴り彫りや毛彫り彫金による極めて精緻な文様が認められます。帯先金具には、上部に古代中国で仙人の住む山として知られる三神山(蓬莱山(ほうらいさん)・方丈山(ほうじょうざん)・瀛州山(えいしゅうざん))と、宝珠形に向かい合う2羽の鳳凰(ほうおう)が表現され、中央から下部には、口を開いた鬼神(鬼面)が雲気や唐草文を伴って意匠化されています。また、円環の付くカ板には、三神山を想起させる唐草文や光芒(こうぼう)文が流れるような筆致で施文され、いずれも卓越した金工技術を示すものと言えます。

資料1

資料2資料3

発見の意義

6世紀後半から7世紀前半の百済の技術者が制作した可能性が高い、現状では国内唯一の金銅製帯金具である。
同時期の東アジアの仏教文化や国際情勢を考えるための基礎資料となる。
聖徳太子の一族と本地域との関わりがうかがえる。

本出土品は、国内に明確な類例は見られませんが、その形態はサビ期百済において官人の身分を示した帯金具と多くの共通点を有しています。高度な彫金技術のほか、三神山・鬼神などを表す文様構成からも、百済系の技術者によって制作された帯金具である可能性が高いと言えます。

地図

須津千人塚古墳の被葬者が活躍した7世紀前半から中頃には、推古天皇の摂政であった聖徳太子(厩戸王)によって法隆寺が建立され、鞍作鳥(くらつくりのとり)をはじめとする百済系の技術者集団が倭王権の中枢で活躍し、造仏や馬具生産、繊維工芸などが発達しました。法隆寺献納宝物(東京国立博物館蔵)には、本資料と共通する鳳凰や鬼神、宝珠文を施した錦(紋織物)が複数伝来しており、飛鳥時代の文化的背景を示す貴重な資料となっています。
また、文献史学および近年の考古学的知見によれば、千人塚古墳が所在する駿河東部地域には、聖徳太子の一族である上宮王家(じょうぐうおうけ)が管掌した壬生部(みぶべ)や膳大伴部(かしわでのおおともべ)などの集団が数多く居住していたと考えられています。
以上の点から、本出土品は千人塚古墳の被葬者が上宮王家との関係性の中で入手した品であった可能性が高く、また6・7世紀の国際情勢や各国間の政治・文化的交流の実態を考える上でも極めて重要な出土品として位置付けることができます。

今回の成果

富士市の歴史にとどまらず、古墳・飛鳥時代の国際交流や、国内に仏教美術を伝えた技術者集団の活動を考える上でも重要な意味を持っています。そして、須津千人塚古墳に眠る人物が、当時の政治的・文化的ネットワークの中でいかなる立場にあったのかを解き明かす鍵となるものと言えます。

報道提供資料

報道提供資料(PDF:3,335KB)(別ウィンドウで開きます)

成果案内

埋蔵文化財ニュース(PDF:2,380KB)(別ウィンドウで開きます)

整備事業報告書

千人塚古墳保存整備事業報告書(外部サイトへリンク)(別ウィンドウで開きます)

お問い合わせ先

教育委員会

電話番号:0545-22-2095

ファクス番号:0545-22-2096

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