ページID:17269
更新日:2026年7月1日
ここから本文です。
目次
【広報ふじ令和8年】特集 戦争と平和 "当たり前の日常"が続く幸せ
- 画像や図表などは、今号の目次にあるPDFデータでご覧ください。
特集 戦争と平和 "当たり前の日常"が続く幸せ
学校へ行くこと、誰かと笑い合うこと、安心して眠れること。
その日常は、決して当たり前ではありません。
世界では今も、争いや不安の中で暮らす人々がいます。遠い国の出来事のように
見えても、失われているのは確かに誰かの日常です。
この夏、過去の記憶に学び、平和について、改めて考えてみませんか。
生き延びるための生活
終戦のとき、私は9歳で国民学校の3年生でした。
父が戦争で亡くなったと聞いたとき、実感はありませんでした。私の家族は、母と弟と2人の妹の5人となり、父親がいる同級生を見て「あの子にはお父ちゃんがいて羨ましいな」と思うことが何度もありました。
当時、服は継ぎはぎだらけのものを着ていましたね。破ければ自分たちで縫って穴を塞いでいました。その頃は新しいものが欲しくても買うことはできなかったし、「欲しい」と言えない雰囲気もありました。どの家も下の子は、兄や姉のおさがりを着ていましたね。
あの頃を振り返ったときに一番に思い出すのは、食べ物のことです。父は戦争に行っていたので、私たち家族は生きるために必死で食べ物を探していました。
主食は麦かサツマイモでしたね。麦はお粥にして量を増やして、配給されていた塩を振って食べていました。それだけではお腹がいっぱいにならないので、今では考えられないと思いますが、川でドジョウを採ったり、カエルを焼いて食べたりしました。タンパク質となる肉は、飼っていた鶏や庭にいるスズメを捕まえて補っていました。たまに食卓に白いご飯が出たときは、うれしくてたまらなかったことを今でも覚えています。
怖かった記憶
当時の記憶で怖かったことは空襲です。夜、飛行機の音がして西の空を見上げると、焼夷弾がばらばらと落ちていくのを見ました。焼夷弾は花火のように見えるのですが、家屋も人も一瞬で火の海にしてしまいました。
終戦前の7月頃、友達と和田川で水遊びをしていたときのことです。現在の今泉地区に、落下傘などを作っている工場がありました。その工場を目標にB29による機銃掃射が行われました。近くにいた私たちは驚きと恐怖に襲われ、とっさに「お母ちゃーん!」と叫びながら逃げました。
その後、工場の中で負傷した人がいたと聞き、私たちの日常は死と隣り合わせであることを改めて実感しました。
戦争を知らない、だからこそ考え続ける
学校へ通い、友達と遊び、家族と食卓を囲む。そんな"当たり前の日常"を戦争は一瞬にして「無」に変えてしまいます。
現在を生きる人たちは戦争を知らない世代がほとんどですが、いつまでも人類一人一人が、平和について考え続けることが大切だと思います。
私は当時を体験した一人として、今後も語り継いでいきたいと思います。
★国民学校…日本の初等教育と前期中等教育を担った学校(現在の小学校)
★機銃掃射…航空機などが装備した機関銃を使用して、目標を連射・速射により攻撃する方法
-画像あり-
(画像説明)富士市遺族会
会長
本多光雄さん(89)
平和を祈りましょう
~戦没者の霊を慰め、平和を祈念します~
同報無線放送の鐘の音とともに、戦没者・原爆死没者の慰霊と平和祈念のため、黙とうをささげましょう。
とき/
8月6日(木曜日)8時15分(広島平和記念日)
8月9日(日曜日)11時2分(長崎原爆の日)
8月15日(土曜日)12時(終戦記念日)
富士市戦没者追悼平和祈念式
今年度から、様々な世代の人に思いを巡らせてもらうため、富士市民なら誰でも参加することができる式典へ変更します。
とき/8月15日(土曜日)
ところ/ロゼシアター中ホール
内容/
第一部:戦没者追悼式
11時50分開式(11時開場)
第二部:平和祈念式
第一部閉式後 13時開式(14時閉式予定)
高校生による平和へのメッセージ
中学生広島市派遣事業の参加者による発表
※申込みは不要です。参加を希望する人は、直接会場にお越しください。
※会場の定員を超えた場合は、入場できないことがあります。
※駐車場には限りがあります。
問合せ/
福祉総務課
電話0545-55-2757
ファクス0545-52-2290
富士市の平和推進の取組
ミニミニ原爆展などについては、暮らしのたより25ページをご覧ください。
-画像あり-
(画像説明)QRコード
詳しくはこちら
問合せ
シティプロモーション課
電話0545-55-2700
ファクス0545-51-1456
Eメールso-citypro@div.city.fuji.shizuoka.jp