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更新日:2026年1月10日
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目次
しずおか遺産「駿河湾のめぐみと行き交う船」
「しずおか遺産」とは
豊かな自然に恵まれ、様々な歴史的出来事が繰り広げられた静岡県は、歴史文化資源の宝庫です。県内の魅力的な歴史文化資源を県内外の多くの人に知ってもらい、現地を訪れていただくために、令和4年度に新たに「日本遺産」の県内版として「しずおか遺産」認定制度を立ち上げました。
静岡県文化財課ホームページ(外部サイトへリンク)(別ウィンドウで開きます)
目次
「駿河湾のめぐみと行き交う船」の概要
ストーリー
エリア別の構成文化財
「駿河湾のめぐみと行き交う船」の概要
申請市
富士市・沼津市
ストーリー概要
駿河湾の船の歴史は古代以前にさかのぼり、スルガの国は水上交通とカツオを特長として発展した。戦国時代には水軍も活躍し、また、幕末には近代造船の原点となる日本初の本格的洋式帆船建造の舞台にもなった。
駿河湾は、富士山とともに美しい景色を織りなし、また、深海と黒潮による豊富な水産物をもたらしている。古今、そこには船が行き交い、漁民による信仰と芸能も今に伝わる。訪れた人は、眺望と食のめぐみをたのしむことができる。

駿河湾と富士山が織りなす風景(富士山と駿河湾の壮大な風景)

駿河湾と富士山が織りなす風景(淡島と富士山)
ストーリー
駿河湾の船の歴史1~スルガの国づくりと船~
駿河湾を行き交う船。その歴史は古代以前にさかのぼり、スルガの国づくりにおいて船が重要な役割を担っていた。
スルガと呼ばれる国は、古墳時代に倭王権によって設置された珠流河国造(するがのくにのみやつこ)にはじまる。その領域は富士川から狩野川(かのがわ)周辺に及ぶが、そもそも3~4世紀の有力首長は水上交通の掌握を背景に影響力を発揮し、駿河湾と浮島ヶ原の潟湖を一望する場所に前方後方墳や前方後円墳を築いた。また、潟湖の西端に位置する沖田遺跡からは、準構造船を転用した墓と銅鏡が発見されており、潟湖をめぐる水上交通の存在と、そこに活躍した人物と船の重要性を物語っている。

古代以前の地形と有力首長の古墳、船の出土地
律令国家の確立後の8世紀以降、駿河国や伊豆国は、カツオ製品を多く都に貢納した。カツオ製品は重要貢納(こうのう)品に指定されており、駿河湾の漁は国家中枢の食文化と財政、儀礼を支える基盤となっていたといえる。このことは、『延喜式(えんぎしき)』や都城跡出土の荷札木簡(もっかん)の記録に加え、カツオを煮たと考えられる堝(なべ)形土器が駿河湾沿岸の遺跡から多く出土していることによって裏づけられる。

古代のカツオ関連出土品
駿河湾の船の歴史2~軍船・廻船の活躍~
戦国時代には、今川氏や武田氏、北条氏の水軍が制海権を巡る争いや海上交通の管理、物流の確保に携わった。天正8年(1580年)の駿河湾海戦では、長浜城を拠点とする北条水軍と武田水軍が激突し、北条方は大砲を備えた安宅船(あたけぶね)と呼ばれる大型軍船10艘を投入したと伝えられている。北条水軍と地元住民との深い関係や、吉原湊(みなと)による軍事物流の実態も古文書からうかがえる。
駿河湾では、漁の船に加え、人や物を輸送する廻船(かいせん)が行き交っていた。戸田港の近くに明治時代初期に建てられた擬洋風建築の松城家住宅は、江戸時代からの廻船業による繁栄を今に伝えている。

安宅船(復元模型)
駿河湾の船の歴3~優れた造船の地~
船の活躍の背景には、優れた造船があった。養老4年(720年)に完成されたとされる『日本書紀』には、応神天皇が伊豆国に命じて長さ約30メートルの巨船を建造させた記述がある。また7~8世紀に編纂された『万葉集』には、「伊豆手の船」が大伴家持(おおとものやかもち)の短歌に登場する。いずれも航行性能が評価されており、伊豆半島の豊富な木材資源と高い造船技術がうかがえる。
江戸時代の嘉永7年(1854年)、下田に来航したディアナ号が大地震と津波の被害を受け、修理のため戸田に向かうも漂流し、現富士市の沖合で沈没した。乗艦を失ったプチャーチン提督は代替船の建造を幕府に願い出て、戸田での造船が許可された。これに協力したのが戸田の船大工たちで、日本初の洋式帆船(はんせん)「ヘダ号」が建造された。船大工は造船界の担い手となり、駿河湾は日本近代造船の原点の地として、その発展に貢献した。
駿河湾の風景と船
駿河湾は、富士山とともに美しい景色を織りなし、古今、そこには船が行き交っている。
東海道を西から進み、薩埵峠(さったとうげ)を越えて富士川に差しかかると、富士山と駿河湾の壮大な風景が目の前に広がる。『万葉集』の代表歌人である山部赤人(やまべのあかひと)は、仰ぎ見る富士山をたたえる和歌を詠み、江戸時代の浮世絵師は、船が浮かぶ穏やかな駿河湾と富士山を描いた。
駿河湾の北に広がる浮島ヶ原も浮世絵に登場する。湾の一部が砂礫洲によって潟湖(せきこ)になり形成された湿地帯で、農作業には厳しい環境であったが、旅人を癒す風光明媚な地でもあった。陸路の東海道は砂礫洲上をはしるが、吉原宿が水害により内陸に移転したため、その東で大きくカーブするようになり、西へ旅しながら富士山を左手に望む「左富士」の名所が生まれた。この湿地帯では、昭和30年代まで船も交通手段に使われていた。

歌川広重「東海道五十三次吉原」
緩やかな弧状の海岸には、千本松原と呼ばれる松林が続く。狩野川を越えると旧沼津御用邸苑地(きゅうぬまづごようていえんち)があり、近代における海辺の保養地の景色を伝えている。さらに進むと、伊豆半島の複雑な地形となり、豊かな自然と漁船が出入りする港の景色に出会うことができる。
駿河湾のめぐみと漁の民俗
駿河湾には、豊富な水産物をめぐみとした食文化があり、船で働く漁民の信仰と芸能も今に伝わる。
駿河湾は水深2500メートルに達する日本一深い湾であり、栄養豊富で清浄な海洋深層水と、富士山からのミネラル豊富な湧水によって、水産資源の生育に適した環境が形成されている。また、黒潮の暖かい流れによって集まる水産物にも恵まれている。
田子の浦港では鮮度と形の良さが抜群の「田子の浦しらす」、沼津港ではアジ、カツオなどや様々な深海魚、戸田(へだ)港では深海のタカアシガニやメヒカリ、アカザエビなどが名物であり、各地でとれたての水産物を活かした食文化を楽しむことができる。
かつての漁撈用具や『豆州内浦漁民史料(ずしゅううちうらぎょみんしりょう)』からは、駿河湾の伝統的な漁や暮らしの様子がうかがえる。また、大瀬崎にはビャクシン樹林に囲まれた神池があり、海の守護神として信仰されてきた大瀬神社が鎮座する。明治時代から続く大瀬まつりや漁船模型の奉納は、海への祈りを象徴している。周辺各地には漁民の信仰を伝える絵馬が残され、戸田では江戸時代からの漁師踊・漁師唄が今に受け継がれている。

大瀬まつり
エリア別の構成文化財
本遺産は、駿河湾の船をキーワードとしたストーリーであり、「船の歴史」「風景と船」「めぐみと漁の民俗」の3要素が歴史的に関連して認められる点に特性がある。地域については、それぞれ港と町を中心とした「富士」「沼津」「戸田・大瀬崎」の3つのエリアに分けることができる。
3つのエリアそれぞれに3要素の構成文化財があり、さらに関連展示施設がある。エリアの個性を持ちながら共通点もあり、本遺産の特性を全域に認めることができる。
| 富士エリア | 沼津エリア | 戸田・大瀬崎エリア | |
|---|---|---|---|
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要素1 船の歴史 |
1浅間古墳 2東坂古墳出土品 3沖田遺跡出土準構造船及び銅鏡 4古代カツオ関連出土品 5矢部家文書 6ディアナ号の錨 |
12高尾山古墳・出土品 13神明塚古墳 4古代カツオ関連出土品 14長浜城跡 15千本浜の首塚 |
22松城家住宅 23洋式帆船建造地及びプチャーチン宿所附関係遺品一括 6ディアナ号の錨 |
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要素2 風景と船 |
7浮島沼と富士山 8浮島沼周辺の農耕生産用具 9吉原宿跡 10千本松原 |
16浮島沼の水田と富士山・愛鷹山 8浮島沼周辺の農耕生産用具 10千本松原 17旧沼津御用邸苑地 |
24大瀬崎のビャクシン樹林 25御浜岬のイヌマキ群生地 |
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要素3 めぐみと漁の民俗 |
11田子の浦しらす | 18沼津のアジ 19沼津内浦・静浦及び周辺 地域の漁撈用具 20内浦・西浦の養殖いけす 21沼津沿岸の漁撈に関する奉納絵馬 |
26戸田のタカアシガニと深海魚料理 27大瀬崎の神池・大瀬神社 28大瀬まつり 29大瀬神社奉納漁船模型 21沼津沿岸の漁撈に関する奉納絵馬 30戸田の漁師踊・漁師唄 |
| 関連展示施設 ★:構成文化財所蔵 |
富士山かぐや姫ミュージアム(外部サイトへリンク)(別ウィンドウで開きます)★ 富士市立歴史民俗資料館(外部サイトへリンク)(別ウィンドウで開きます)★ 歴史学習施設ディアナ号 |
沼津市歴史民俗資料館(外部サイトへリンク)(別ウィンドウで開きます)★ 沼津市文化財センター(外部サイトへリンク)(別ウィンドウで開きます)★ 沼津港深海水族館(外部サイトへリンク)(別ウィンドウで開きます) |
戸田造船郷土資料博物館(外部サイトへリンク)(別ウィンドウで開きます)★ 駿河湾深海生物館(外部サイトへリンク)(別ウィンドウで開きます) |


