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【平成29年度第1回市政モニターアンケート】「人生の最期の迎え方」について集計結果(問21)

問21
 人生の最期の迎え方について、希望することや思うこと、考えることを自由にお書きください。

人生の最期の迎え方についての希望や考え

  • 42年間勤務したくさんの税金も納めてきた。今は年金生活だが、これが年々減らされている。もう税金は取らないでほしい。老人ホームなどで仲間と楽しく歓談しながら静かに皆様方に謝辞を述べ、旅立ちたい。(70代男性)
  • 病気の状態にもよるが、本人が行きたいところ、食べたいものがあったら、可能な限り叶えてあげたい。(30代女性)
  • 個人的なことであり、またいつ死を迎えるかわからない時代だが、本人や家族が、ある程度納得できるように一度は話をすることは必要だと思うし、生きて生かされている命の大切さを感じる。人生は一度きりという言葉があるが、自分は、死に直面したときであっても人間性豊かな死に際でありたいと思う。(50代女性)
  • 現在数えで80歳、これまで生命に関わるような病気にもならず、人生が走馬灯のように思い出される。人生の最期を迎えるにつき「無我の境地」になりたい。(70代男性)
  • 人は必ず最期を迎えるけれど、人生を後悔することのないような過ごし方、生き方をしてほしいと、子供たちに伝えたい。(40代女性)
  • 家族には回復の見込みがない延命治療をしても皆の負担が増すだけで、先行き何の希望も得られないので、私は延命治療をやらないよう前もって伝えてある。(70代男性)
  • 家族に迷惑をかけたくない。自宅での生活が困難になったら施設での生活を希望したい。施設で生活できるよう、老後の生活が経済的に豊かでありたい。施設も経営状態がさまざまのようなので、間違いのない施設を探してもらえるように、子供に頼んでみる。(50代女性)
  • 苦しまず、また、延命治療することによって家族に迷惑をかけたくない。(50代女性)
  • 富士市は延命治療を受けている患者が多いと思う。結局家族は家でみられずに病院に入れっぱなしであることが多い。本人は何年も病院で苦痛な毎日を送っている。尊厳死について一人一人考えるべきであり、急性期での判断を間違えないようにしてほしい。(30代女性)
  • 最期くらい自分の望む様な人生の閉じ方をしたい。ただ家族が負担になるような最期にはしたくない。死ぬ方も見送る方も「ありがとう」「今まで生きてご苦労様」と言って静かに息を引き取りたい。(60代女性)
  • 希望がなければ延命はいらない。多分そうしてくれるとは思わない。いつ死ぬかもわからない。子供に会えたらもちろんうれしいと思うが、誰にも気づかれずにこっそり死ぬのもよいかなと思うこともある。(20代女性)
  • 自宅で家族に看取られて人生の最期を迎えたい。(70代男性)
  • 本人の希望する死に方で最期を迎えたいと思う。家族に対して、希望を伝えることは非常に重要であると思う。(50代男性)
  • 家族に見送られたら幸せ。(50代男性)
  • 長い期間昏睡状態になり、回復の見込みがない場合、尊厳死を選択したい。子育ても一段落しているし、子供に負担をかけたくないと思う。(40代女性)
  • 病気などの場合、余命はどのくらいなのかしっかり確認して、自分のやりたいこと、残された家族に引き継ぐことなど、きちんと終活ノートにまとめていきたい。(40代男性)
  • 病気の場合、病院で最期を迎えたい。延命については各自(家族)の判断でよい。葬儀のあり方を簡素化するべき。(80代男性)
  • 家族に囲まれて最期を迎えたい。(40代男性)
  • 自分が覚悟をしたときに苦を伴う事なく最期を迎える事ができたら、家族の負担が軽減できると思う。(50代女性)
  • 最期まで意識があり子供にきちんと別れやお礼が言えるようにしたい。ちゃんと死にたい(精神的自立)。(50代女性)
  • 自分なりの人生が歩めたと思える最期でありたい。(60代女性)
  • 自宅で最期を迎えたい方が多いのではと考えているが、医療との連携、家族の理解などいろいろな条件が揃わないと難しいし、少子化となっているこれからの社会においては負担が多いのではないか。また、家族間であってもこうした深い話をする機会が減っているのではないかと思う。(30代女性)
  • 私も今年で70歳になるので時々考える。延命治療は受けたくないということと、家族の迷惑になることだけは避けたいという思いでいっぱい。(60代女性)
  • 迷惑をかけずに迎えたい。痛みがないとうれしい。眠るように逝きたい。(30代女性)
  • 周りに迷惑をかけずに、最期を迎えられれば一番だと思っている。(30代女性)
  • 私は8年前に急性心筋梗塞で中央病院にてカテーテル手術を受けて無事蘇生することができた。意識不明となって自分自身は最期を迎えているとか、どうなっているのか判明せず、当時家族は「頭が真っ白」の状態であったと言う。このことから、早急に最期の迎え方について文書や話し合いで方針を決めておかねばと痛感している。(70代男性)
  • 苦痛なく最期を迎えたいし、残る家族に負担がかからないようにしたいが思う通りになるかはそのときに変わるかもしれない。(40代女性)
  • 元気であれば長生きもよいかと思う。しかし、病気で苦痛になるのでは、その期間はあまり長くない方が良い(治療は最低限で良い)。あまり周りに迷惑のかからない状態でピンピンコロリが理想的だと思う。(50代女性)
  • 苦しまないで亡くなりたい。(50代男性)
  • 家族と最期の時間をゆっくり過ごしたい。(40代女性)
  • 最期は病院かと思うが、家族に面倒かけたくないし、お金もかけたくない。ボケてしまえば計画通りにいかない。一応気持ちだけは話しているが我が家は皆、延命を望んでいない。死んだ者勝ちだ!ということ。(50代女性)
  • 自分が病気になった際どの病院で診てもらうか決められるように、最期を迎えるにあたって、選択肢が広い方がよりよい最期を迎えられると思った。その上でエンディングノートをきっかけに親と話したりすることでこちらの死に対するショックを少しでも和らげられると思う。また痛みを和らげたり、穏やかに最期を迎えられる施設が増えたりすればよいなと思う。(30代女性)
  • 出血がひどかったり、痛みがひどかったり、このまま生きていてもつらいだけだとドクターが判断したら、周りにいる人によく説明してほしい。それと最期の場面をみるのはつらいものだった。(50代女性)
  • 治る見込みがなくただ寝ているだけでは周りにも迷惑だし、自分も生きているとは思えない。意識もしっかりあり、自分のことぐらいはでき、それができなくなった時にはぽっくり死にたい。(60代女性)
  • 家族に負担がかからないように最期を迎えたい。(40代女性)
  • 家族に迷惑をかけずに最期を迎えたい。(20代女性・40代女性)
  • 健康のまま寿命を全うできれば本望。(40代男性)
  • できるだけ迷惑をかけず、痛みを伴わず、自然に死にたい。(50代女性)
  • 家族にあてた個々への手紙は書きたいと思っている。エンディングノートは知っているが具体的に詳しく聞いてみたいとは思ってもどこに行けばよいのか。窓口もわからず、まだ40代という事もあり少し抵抗がある。(40代女性)
  • いつ来るかわからない最期の瞬間。どういう選択肢があるのか、どういう体制なのか、あまりにも無知だと気づいた。家族の日常を壊さずに自分らしく死ぬためには、どうしたらよいか考えてみたいと思う。最期の迎え方については、教育課程でカリキュラムを持つことが良いのではないか、と感じる。また、子育てや家事、生活全般、お金のことについては、結婚して、子どもができてから気づくことが多い。子育てやくらし、お金のことに正解はないが、データを基に、現状や選択肢を伝え、知識を持たせるということは、義務教育内でやったらよいと思う。(30代女性)
  • なかなか思い通りには死ねない。死ぬまで自分らしくいることは、周りの人の協力や理解が必要。(30代女性)
  • ピンピンコロリが一番望ましい。(50代男性)
  • もし、検診などで、末期だとわかった場合、余命宣告をされた時点で、エンディングノートなどを紹介するなどの方法も一つかと思う。生きる気力につながる場合もあるし、残された人も、これを読んで、その人の本心を理解できたり、生きるヒントをもらえたりと、前向きになれることもあると思う。(30代女性)
  • 医療従事者の丁寧な説明が必要だと思う。胃ろうや人工呼吸器のこと、特にリスクについて。本人が意思を伝えていない場合、家族が選択することになるが、一時の感情や選択の責任で家族が悩まないようにしなければいけないと思う。寿命に逆らわず、延命にこだわらず、家族に頑張らないでもらいたいと思う。ただ、痛みだけは困るのでそれだけなくしてもらえたらと思う。(40代女性)
  • 希望としては、自宅で最期を迎えたいが、家族に負担がかかるなら絶対とは言えない。自分が介護する側になった事を考えても、難しいと思う。(30代女性)
  • 既婚者だが子供がいないので、孤独死するのではないかという漠然とした不安がある。人生の最期は自宅で家族に看取られるのが理想的に感じるが、晴れた屋外で最期を迎えるのもありかなと感じる時もある(野原で討ち死にするような時代劇的な感覚に似ている)。(40代男性)
  • 高齢による認知症や寝たきりでの高度医療技術による延命措置は基本的に不要ではないかと思う。(60代男性)
  • 今回母の最期を看取った経験から、人生の最期を、延命治療で当人の苦痛を強いてでも延命するのがよいのか否かは、とても難しい問題。基本的には本人の希望に沿うことが本来の趣旨だが、本人の意思確認が難しい場合があるため、家族としてどうすればよいのか、悩みぬくことになり、正解が正直わかりかねると思った。(60代男性)
  • 最近親しい友人ががんで亡くなった。彼女は緩和ケアの説明も受けていた。再発後は最期まで自分らしくいたいからと、治療拒否して亡くなる1か月前までフラワー装飾の仕事をして、最後の1か月は葬儀の準備、お礼状作成、とにかくすごい人だった。私も色々学んだ。つらい延命治療は意味がないように思うようになった。(50代女性)
  • 自宅で親族に見守られながら逝くことが理想である。(60代男性)
  • 自分の周囲(両親、祖父母)がまだ健在のため考える機会が少ない。今後身近な人間が最期を迎えることがあるが、その時には考えるかもしれない。行政としては非常に対応が難しい問題だと思う。(20代男性)
  • 住みなれた場所で、住みなれた家の中で、大好きな家族に囲まれて、穏やかに最期を迎えたい。(30代女性)
  • 今年父親が亡くなった。最後は認知症がひどく昼夜逆転して、介護していた母親が倒れる寸前だった。意識があまりなく、意識障害になり誤嚥性肺炎で中央病院に入院して、延命治療の事を病院から言われた。延命治療はお金がかかり、胃ろうにするともっと大変だと。母親と相談した結果、延命治療はしない事にした。父親とは延命治療の事など、話をした事がない。いろいろ考えて決めたが、延命治療をした方がよかったのか、しない方がよかったのか、未だにしっかりした答えは出ない。父親の寿命など、私達家族には決められる訳がない。最後は口から食べられなくなり、点滴で栄養を摂っていた。愛する父親が亡くなり、悲しさもあるが、残された私たちはこれからも生きていかなくてはならない。この時に思った事は、私も歳を取り、いつ父親と同じようになるか分からないので、主人と子ども達に私に何かあった時には、絶対に延命治療はしないでと伝えた。人間は食べられなくなったら、おしまいと聞いた事がある。無理に生かされるより、自然の流れで亡くなりたい。私の人生の最期の迎え方は残された家族、子供達に迷惑をかけないで死にたいと思っている。(40代女性)
  • 子供が産まれて考え方が変わり、設問にあったような昏睡状態での延命などはせずに、自然な流れで最期を迎えたいと思うようになった。子どものためにも無駄なお金は使いたくない。生きられる可能性があるならば延命もするが、何もしてあげられないなら逝きたい。特に今の子どもが小さい時ならばなおさら養育費に回してもらいたい旨を夫にも伝えてある。最期の迎え方としては、誰かに知られる所なら死に場所は選ばない。気付かれないまま何日も経過して、周りに大変辛い思いをさせることは避けたい。(30代女性)
  • 自分がまだ若く、幼い子どもがいる場合は極力長く生きていたいと思い延命治療を行いたいと思うかもしれないが、60歳を過ぎたら延命治療は望まないと思う。そのときは、緩和ケアの世話になり、疼痛コントロールし、病気とともに生きて最期を迎えたいと思う。(30代女性)
  • 自分の祖父が、胃ろうをするかという話になった時、いろいろ考えた。意識もきちんとあって本人も周りも生きて欲しいという思いがあるなら延命もいいと思うが、認知症でよく分からなくて周りも大変な場合などは、延命しなくてもよいのではないかと思う。(40代女性)
  • 自分はまだ若いが、もっと若くしてがんなどでなくなっている人もいる。でもやっぱりまだ子供も小さいし生きる事を考えたい。でも体が動かなくて人に迷惑かけてまで延命するのと、もう死ぬなら死ぬで割り切ってぎりぎりまで治療しないでやりたいことを思い残すことなくやってスパッと死ぬのとどちらがいいのか、その時になったら変わるかもしれない。(30代女性)
  • 常日頃から後悔をしない様に、一生懸命できる事やりたい事等、躊躇なく実行する事を目標に生きている。(60代男性)
  • 人それぞれ、最期の迎え方があると思う。私自身が望んでも、周りから共感が得られない可能性があると思う。私も人生の最期を迎える人の考え方に共感できないこともあると思う。共感できなくても、最期に亡くなる場所や過ごし方を、主観で決めつけないでほしい。最期の瞬間は「走馬灯」のように早く動くので、もっと、迅速に医療や介護が手助けできるように動けて、幸せを感じる瞬間を作りたい。(20代女性)
  • 人生最期は、どんなに考えても準備しても後悔や家族への様々な負担が残る。よく親に言っているのは死んで後悔することがあるならば、死んだ後生まれ変わる、生き返ったことを考えた準備をすれば死と向き合えると思うと伝えている。(20代男性)
  • 直前までは大きな病気も無く最期を迎えたい。(30代男性)
  • 痛みなく最期を迎えたい。(50代男性)
  • 不安やストレスの軽減、自宅で迎える最期に、長期化する場合、家族ケアも充実させてほしい。(40代女性)
  • 痛みや苦しみがある状態で生き続けるのは辛い。今から最期の迎え方や亡くなった後の事を考えると怖い。やはり苦しまないで、亡くなりたい。(40代男性)
  • 年金を限度に生きていき、必要以上の延命治療をすることなく最期を迎えたい。高齢社会になる中で医療財源の比率が高くなるので、延命治療については議論してほしい。(70代男性)
  • 病気の種類によっても違ってくるが、選択肢は多い方がよいと思う。がんなどで痛みを緩和しながら最期を迎える様な施設が病院内または富士市内に整っていれば、延命希望の有無も違ってくると思う。やはり生まれ育った市で最期を迎えたいと思う人が多いと思う。私もできることなら、病室からでも最後に富士山を見て最期を迎えたいと思う。新病院にも期待する。(40代女性)
  • 周囲の人の理解が必要になる。(60代男性)

現時点では人生の最期の迎え方について考えていない(考えたくない)

  • この世に生を受けた以上誰しも人生の最期を迎えなければならないが、正直今は何も言えない。今のところ一日一日を精一杯生きて少しでも長生きしたい。(80代男性)
  • 考えることは良いことかと思うが、そこ(人生の最期)に向かっているような気がしてしまうのでそこまで今の段階では考えたくない様な気もする。(40代女性)
  • まだ考えたことがなかったが、自分がどうしてほしいか家族に伝えておくことはとても大事だと思った。(40代女性)
  • 最期については考えた事もないが、もし一つ考えるとしたら、誰にも迷惑をかけず、充実した一生だったと思えるような最期を迎えたい。(40代男性)
  • 子どもが一人で生活できるようになるまでは、人生の最期についてまだ考えられない。(30代女性)
  • 今のところわからない。(40代女性)
  • 30代なのでまだまだ想像つかないところがある。(30代女性)
  • まだ60代なので考えたことがない。(60代女性)
  • まだ年齢的に実感がわかないので、あまり考えたことがなかったが、これから考えなければならないなと思った。(50代女性)
  • 延命治療を受けるよりも臓器の提供をしたい。がんが転移をした時のことは考えることがあるが、人生の最期の迎え方については考えたことがない。(50代女性)
  • 私はまだ20代なのでまだ死というものがとても遠く感じている。でもいつ死ぬかは分からないので今から最期について考えておくのも良いのではと思った。(20代女性)
  • 人生最期の迎え方を考えようとすること自体、寂しい気持ちが起こり、まだ避けていると思う。でも、いつ訪れるかわからないことなので、これから少し考えてみようかと思った。(50代女性)

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