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更新日:2025年5月15日

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目次

 

旧富士川町政の歩み 大正10年(1921年)~昭和20年(1945年)

大正10年 (1921年)

富士川幼稚園を富士川小学校内に付設開園

大正12年 (1923年)

松野村産業組合設立

大正13年 (1924年)

国道富士川橋完成

(写真)国道富士川橋開通式の様子(JPG:77KB)

富士川小学校に二階建校舎完成

富士川小学校校庭に忠魂塔建立

昭和3年 (1928年)

富士川幼稚園舎建設

昭和4年 (1929年)

岩淵坂下火災65戸焼失

岩淵下屋敷火災17戸焼失

富士川工場汚水専用水路完成

(写真)富士川工場汚水専用水路外観(JPG:70KB)

昭和5年 (1930年)

富原橋(吊橋)完成

(写真)富原橋開通式の様子(JPG:84KB)

昭和7年 (1932年)

11月に風速35m以上の強風で被害甚大

昭和9年 (1934年)

野田製材所、合板製造開始

(写真)野田製材所全景(JPG:63KB)

昭和11年 (1936年)

富士川小学校に南側二階建校舎(16教室)建設

(写真)富士川小学校外観(JPG:74KB)

昭和12年 (1937年)

松野小学校に二階建校舎建設

(写真)松野小学校外観(JPG:69KB)

昭和14年 (1939年)

富士川町、松野村各々「警防団」結成

昭和15年 (1940年)

第5回国勢調査実施
富士川町 8,559人
松野村 4,927人

松野郵便局臨時郵便集配員高岡姉妹殉死

昭和16年 (1941年)

尋常高等小学校を富士川国民学校、松野国民学校と改称

(写真)学校外観(JPG:82KB)

昭和17年 (1942年)

日本軽金属蒲原工場との間に煙害問題おこる

昭和18年 (1943年)

富士川町農会を「農業会」と改称

昭和19年 (1944年)

町内寺院へ都市学童疎開あり

陣地構築のため陸軍部隊町内に駐屯、松野は東光寺に駐屯

昭和20年 (1945年)

日本軽金属蒲原工場と町内東海道線路上列車及び堺町が空襲を受ける

子供会発足

食塩自給のため町が製塩し、町内家庭に配給

日本通運岩淵営業所開設

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