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更新日:2025年5月15日
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目次
弥生時代
弥生時代は、今からおよそ2300年前(紀元前3世紀)からおよそ1700年前(3世紀)までをいいます。
市内にある弥生時代の遺跡は、縄文時代の遺跡に比べて少なく現在27ほどの遺跡が知られるのみです。
富士市の弥生時代
弥生時代は、今からおよそ2300年前(紀元前3世紀)からおよそ1700年前(3世紀)までをいいます。この時代は、中国大陸や朝鮮半島の文化の影響を強く受けて、鉄製の道具や鏡や剣のような青銅製の祭器(儀式などに使う道具)などを持つようになりました。
また、弥生時代を特徴付ける米作りも広まり、それまでの狩りや採集から稲作を中心とする生活に変わった時代です。その後の米を主食とする日本の文化のもとともなりました。
地中深く眠る沖田遺跡
沖田遺跡は、弥生時代後半(1800年程前)から浮島沼西岸(今泉沖田)で米づくりをして生活していた人々の跡です。しかしこの遺跡は、地中深く埋まっていて調査を行うのが難しいのです。おそらく浮島沼周辺には水田が広がり、少し高い場所にムラがあったはずです。
岩淵の山王遺跡
東名高速道路の下り線、富士川サービスエリアのところに山王遺跡があります。この遺跡からは、縄文時代の終わりごろの土器と、この地方で最初の弥生土器が発見されました。表面に貝殻で斜めに引っかいたような模様のつけられた土器で、現在の愛知県あたりで始まり、東の地方に広まったものです。なお、これと同じ土器は富士宮市の渋沢遺跡でも発見されていますが、ともにまだ稲作が行なわれていた様子は見つかっていません。
市内の弥生時代の遺跡
市内にある弥生時代の遺跡は、縄文時代の遺跡に比べて少なく現在27ほどの遺跡が知られるのみです。
そのうち今泉の沖田遺跡、境の的場遺跡などは、浮島沼周辺の米づくりに適した場所にあります。これに対して、富士岡の向山遺跡や増川の平椎遺跡などは山腹や丘陵上にあります。また、富士川西岸には山王遺跡や中野遺跡があります。