古くは「吉原湊」と呼ばれた田子の浦港は、駿河湾の最奥部にあり、富士山麓の南を流れる沼川と潤井川の合流点に建設された「堀込式港湾」で、昭和33年から10余年の歳月と総工費130億円をかけて完成しました。
富士市を中心とする岳南地域は、遠く江戸時代から「駿河半紙」の特産地として名高く、近代になると製紙・パルプ工業などの軽工業が発達しました。
戦後は、食品加工・化学繊維・自動車・電機などの大企業が進出し、加えて関連中小企業の設立や設備投資が相次ぎ、新しい工業地域として脚光を浴びるようになりました。
昭和30年代に入り、県は産業基盤整備を重点とした総合開発計画を策定し、この岳南地域に駿河湾臨海工業地帯の拠点とする「工業港」の建設を決定し、昭和33年4月から第一期修築工事に着手しました。
工事は、海底勾配が急峻でしかも太平洋の荒波を直接受ける漂砂海岸という厳しい自然条件の中で進められ、昭和36年8月に開港しました。同年12月には管理事務所の設置、翌37年2月に待望の第一船入港と、港湾管理体制は着々と整えられました。
昭和39年4月には重要港湾、41年4月には関税法による「開港」の指定と、名実ともに国際貿易港として順調に伸展してきました。
昭和40年代後半になると、ヘドロ公害により港の危機に陥りました。この難局も、関係企業の協力や技術開発、地域の人々の理解により解決に向かい、昭和56年には「クリーン宣言」を行い、ヘドロ公害は終結しました。
その後、港湾利用の進展により、「地域の産業を支える、安全で快適な港」と「市民に親しまれる港」を基本理念とし、平成元年3月に港湾計画が改定されました。
平成12年には環境調査により、ダイオキシン類の汚染土砂の堆積は判明。平成16年に「田子の浦港底質浄化対策事業計画」を取り纏め、土砂の除去を開始しました。同年、安全で使いやすく、親しまれるみなとづくりを目指す「田子の浦港みなとまちづくり基本構想」が纏まりました。
また、平成13年に港湾計画が策定され、物流・生産機能の拡充とともに多様化する港湾への要請にも適切に対応していくため、「産業活動を支える物流機能の高度化」と「市民生活向上への寄与」を目標に掲げ、船舶の大型化等に対応した施設整備を展開しています。
平成26年4月には、田子の浦港港湾計画を踏まえ、清水港や御前崎港との相互分担や相互補完による一体的な利活用を目指した整備構想の基礎となる、駿河湾港整備基本計画が策定されました。
年号(西暦) | 出来事 |
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昭和26年(1951) | 公有水面埋立法による「乙号港湾」に指定される(2月) |
昭和27年(1952) | 港湾法による「地方港湾」に指定、港湾管理者(静岡県)を設定(11月) |
昭和33年(1958) | 田子の浦港第一期修築工事に着手(4月) |
昭和36年(1961) | 開港式(8月) |
昭和37年(1962) | 第一船「第2白銀丸」入港(2月) |
昭和39年(1964) | 港湾法による「重要港湾」に指定(4月) |
昭和41年(1966) | 関税法による「開港」指定(4月) |
昭和46年(1971) | 第一次浚渫作業を開始(4月) 駿河湾カーフェリー就航(9月) |
昭和56年(1981) | 第四次浚渫作業終了 |
平成9年(1997) | 中央埠頭改修工事開始 |
平成12年(2000) | 「第15回海の祭典」開催(7月) |
平成15年(2003) | 中央1号岸壁(-12m)240m完成 |
平成16年(2004) | 田子の浦港底質(ダイオキシン類)浄化対策事業計画公表 |
平成17年(2005) | 中央航路泊地(-12m)整備に着手 |
平成18年(2006) | 中央2号岸壁(-12m)整備に着手 |
平成23年(2011) | 中央2号岸壁(-12m)全面供用開始(2月) 田子の浦港築港50周年記念式典(2月) |
平成28年(2016) | 田子の浦港開港50周年記念式典(11月) |
平成30年(2018) | ふじのくに田子の浦みなと公園完成記念式典(2月) |
令和元年(2019) | 「みなとオアシス田子の浦」登録(11月) |
令和2年(2020) | 鈴川海浜スポーツ公園完成記念式典(11月) |
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