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【広報ふじ令和4年】特集 鎌倉殿へのはじまり×富士市ゆかりの地

2022年02月05日掲載

鎌倉時代×富士市
鎌倉殿へのはじまり×富士市ゆかりの地

鎌倉幕府を開いた源頼朝(よりとも)に従っていた北条義時(よしとき)。頼朝の死後は13人の家臣による合議制を確立し、約150年続く鎌倉幕府の体制を盤石にしました。2022年NHK大河ドラマは、平安時代末から鎌倉時代初期にかけての激動の時代を生きた北条義時を主人公としています。
鎌倉時代のはじまりに起こる事件——源平合戦の戦役の一つである「富士川の合戦」、そして日本三大仇討ちの一つとされている「曽我兄弟の仇(あだ)討ち」。富士市は、これらのエピソードの舞台となった場所であり、現在もゆかりの地が数多く残されています。

-図表あり-
(図表説明)富士市に関連する人物関図

年表 北条義時にまつわる主なできごと

1160年(永暦元)
源義朝、尾張国で討たれる。その子頼朝、伊豆国に流罪となる。
1167年(仁安2)
平清盛、太政大臣となる。
1176年(安元2)
工藤祐経、伊豆国で河津祐泰(曽我兄弟の父)を殺害する。
1177年(治承元)
大仏師康慶(運慶の父)、木造地蔵菩薩坐像(重要文化財・富士市松岡瑞林寺蔵)を造る。
1180年(治承4)
源頼朝が挙兵する。鮫島宗家、それに従う。頼朝、富士川を挟んで平氏軍と対陣し、平氏軍は水鳥の羽音に驚いて逃走(富士川の合戦)。
1181年(養和元)
平清盛没する。
1185年(文治元)
源義経、長門国壇ノ浦で平氏を破る。源頼朝、守護・地頭を設置する。
1192年(建久3)
源頼朝、征夷大将軍となる。
1193年(建久4)
源頼朝、富士山の麓(富士野)で巻狩(狩猟)を実施。
曽我兄弟、工藤祐経を殺害する(曽我兄弟の仇討ち)。
1199年(正治元)
源頼朝没する。
北条時政ら13人の合議制開始。
1203年(建仁3)
源頼家(2代将軍)、伊豆国に幽閉。源実朝、3代将軍となる。
1213年(建保元)
和田義盛、挙兵して幕府を攻撃するが、敗れて戦死する。
1219年(承久元)
源実朝、殺害される。
1221年(承久3)
後鳥羽上皇、北条義時追討の命を下す(承久の乱)。北条義時率いる幕府方の勝利。
1224年(元仁元)
北条義時没する。
参考/「静岡県史 通史編7 年表」

NHK大河ドラマ「鎌倉殿の13人」ストーリー

華やかな源平合戦、誕生する鎌倉幕府、権力を巡る男たち女たちの駆け引きー
源頼朝にすべてを学び、武士の世を盤石にした男 二代執権・北条義時。
野心とは無縁だった若者は、いかにして武士の頂点に上り詰めたのか。
三谷幸喜が贈る予測不能エンターテインメント!
放送予定 2022年1月〜12月(NHK)

1180年 富士川の合戦

平安時代の末期、平清盛(きよもり)率いる平氏は天皇家の後ろ盾を得て、政権を握り、大きな影響力を持っていました。権力争いに敗れ、伊豆の蛭ヶ小島(ひるがこじま)(伊豆の国市韮山)に流されていた源氏の源頼朝は、伊豆の豪族であった北条時政(ときまさ)(北条義時・政子(まさこ)の父)を味方につけ、治承4年(1180)、平氏討伐のために挙兵します。
一度は平氏に敗れた頼朝ですが、その後平氏の支配に不満を持つ武士たちを従えて勢力を拡大し、鎌倉を中心に東日本を勢力下に治めました。
一方、平清盛は、頼朝討伐のために平維盛の軍を都(福原京)から鎌倉に派遣します。そして、当時の富士川(※1)を挟んで対陣したのです。この時、平氏は富士川西岸に、源氏は富士の加島(※2)に陣地を構えたと言われています。
合戦が始まろうとしたため、この地域の人々は、戦いに巻き込まれることを恐れて、山中に隠れたり、海に逃れたりしたとされています。ところが平氏は、夜中に行われた源氏の移動によって起きた水鳥の羽音を敵の来襲と間違えて、戦うことなく西に向かって敗走したと言います。
これが、平氏没落の大きなきっかけの一つになったとされる「富士川の合戦」ですが、この戦いに関連して、平家越(へいけごえ)や呼子坂(よびこざか)、物見堂(ものみどう)など、市内の各所にゆかりの深い地名が残っています。
また、市内の神社の中には、頼朝が祈願や奉納を行ったという伝承や、食糧を保管したなどの由緒を持つもの、和田町付近に陣を置いたとされる和田義盛(13人の合議制の一人)を祭るもの、富士市出身の武士である鮫島宗家を祭るものなどが存在しています。
※1 現在よりも東側の地域一帯に幾筋にも流れがあったと言われています。
※2 当時の富士川や潤井川が流れる地域一帯を指します。

-画像あり-
(画像説明)歌川国芳「源平盛衰記 駿河国富士川合戦」江戸時代(富士山かぐや姫ミュージアム蔵)

1193年 曽我兄弟の仇討ち

平氏を滅ぼして鎌倉幕府を開き、征夷大将軍となった源頼朝は、建久4年(1193)に全国に将軍の力を示すことと、軍事訓練をかねて、富士山の裾野で大規模な巻狩(まきがり)(狩猟)を行いました。約20日間、大勢の武士たちがこの地に滞在し、この地域に大きな影響を与えたことが、鵜無ケ淵(うないがぶち)や三度蒔(さんどまき)、傘木(からかさぎ)といった、市内各地に残されている地名からもうかがえます。
また、この巻狩の際に、頼朝の有力な御家人(家臣)である工藤祐経(すけつね)が曽我十郎祐成(すけなり)と五郎時致(ときむね)の兄弟に殺害されるという事件が起こります。その原因は、兄弟の祖父であり北条義時の祖父でもある伊東祐親(すけちか)と工藤祐経の領地争いです。この争いがもとになり、曽我兄弟の父、河津祐泰(すけやす)は工藤祐経に殺されてしまったのです。
幼い頃から父の仇を討つ決意を固めていた兄弟は、巻狩に同行していた工藤祐経を、宿泊所となっていた富士野の神野(現在の富士宮市上井出付近)で、ついに討つことができました。しかし、兄の十郎祐成はその場で殺され、弟の五郎時致は捕えられてしまいます。
捕えられたのち、頼朝の取り調べを受けた五郎時致は、兄弟の孝心と行動に心を打たれた頼朝がその命まではとらないでおこうとしたものの、鎌倉へ護送される道中、工藤祐経の子である犬房丸により、首をはねられたと伝えられています。この場所が鷹ケ丘(たかがおか)とされ、現在の鷹岡という名称の由来とする説があります。
また、鷹岡地区を中心に、市内には曽我兄弟を祭る曽我八幡宮、兄弟の墓所がある曽我寺(鷹岳山福泉寺(ようがくざんふくせんじ))をはじめ、兄弟やその恋人たちにゆかりのある場所が多く残されています。

-画像あり-
(画像説明)曽我兄弟の絵馬(曽我八幡宮蔵・富士山かぐや姫ミュージアム展示)
(画像説明)曽我兄弟の墓(曽我寺)左:曽我五郎時致 右:曽我十郎祐成

問合せ 富士山・観光課 電話 55-2777 ファクス 55-2937 Eメール sy-fujisankankou@div.city.fuji.shizuoka.jp

鎌倉時代×富士市
富士市ゆかりの地マップ

大河ドラマの「鎌倉殿」とは鎌倉幕府将軍のこと。初代将軍は、源頼朝。富士市にも鎌倉時代のはじまりにゆかりのある場所が多数存在します。
この機会に現地を訪れ、頼朝や北条義時、曽我兄弟たちが活躍した時代に思いを馳(は)せてみませんか。

(1)曽我寺(そがでら)(久沢229)
正式名は鷹岳山福泉寺。兄弟の墓がある寺として、曽我寺と呼ばれる。境内には、兄弟の墓や兄弟像がある。本堂には、兄弟の坐像と位牌、兄弟が使ったとされる道具など、ゆかりの品が多く伝来する。
(2)曽我八幡宮(そがはちまんぐう)(厚原896)
兄弟の仇討ちに感心した頼朝が、家臣に命じて建てたと伝わる。その後神社は焼けたが、江戸時代に入り再建され、現在地に移された。
兄弟の立像や絵馬など、ゆかりの品が多く伝来し、境内には、幼い兄弟像が建つ。

鷹岡地区に伝わる「曽我兄弟武者行列」
鷹岡地区では、平成18年まで曽我まつりが開催され、祭りの中で曽我兄弟の武者行列が行われていました。一度は途絶えたものの、平成29年の鷹岡地区さくらまつりで復活し、現在は地区の小・中学生たちが武者などに扮して行列を行います。
※令和2・3年は中止。

(3)物見堂(ものみどう)(岩淵1135-1付近)
光栄寺付近の地名で平家方が物見(見張り)をしたと言われている所。また、富士川SA付近にあった山王社は、平家の案内役、斎藤実盛の陣屋跡と伝わる。現在は妙見神社(岩淵1575-2)に遷座されている。
(4)横割八幡宮(よこわりはちまんぐう)(横割2-3-35)
頼朝が平家追討を祈り、弓、矢、新馬を奉納したという。
ゆかりの品として矢じりが伝来している。
(5)平家越(へいけごえ)(今泉 平家越橋)
水鳥の飛び立った音に驚き、平家軍が敗走した場所。
現在石碑がある場所付近には、かつて「平家越」「陣所田」「鴨田」という地名があった。
(6)和田神社(わだじんじゃ)(今泉8-7付近)
通称「義盛さん」。頼朝の家臣、和田義盛を祭る。義盛はこの辺りを守り、川に罠をしかけたという。その川は和田川と呼ばれ、付近には和田町や上和田等の地名が残る。
(7)日吉神社(ひよしじんじゃ)(鮫島416付近)
頼朝の旗揚げから従う鮫島四郎宗家を祭る。富士川の合戦では地元出身者として、道案内をしたと言われている。
(8)呼子坂(よびこざか)(宇東川西町8-18付近)
清岩寺門前の坂のことで、源氏軍が呼子(笛)を吹いて兵を集めた所。また、清岩寺の創建は、北条時政が富士川の辺りに建てた「専修院」を移築再建したとの説がある。
(9)滝川神社(たきがわじんじゃ)(原田1309)
富士川の合戦で戦勝祈願を、巻狩の際には、金の玉を奉納したと言われている。

-画像あり-
(画像説明)曽我寺
(画像説明)曽我八幡宮
(画像説明)曽我兄弟800年祭の様子(曽我寺 1992年5月撮影)
(画像説明)物見堂
(画像説明)横割八幡宮
(画像説明)平家越
(画像説明)和田神社
(画像説明)日吉神社
(画像説明)呼子坂
(画像説明)滝川神社

のぼり旗が目印

ゆかりの地PRのために、各史跡の付近に富士市オリジナルのぼり旗を設置しています。

-画像あり-
(画像説明)のぼり旗が目印

ロゴマークを作成しました!

ゆかりの史跡をPRするため、県内の関連する市町でロゴマークを作成しました。
各市町の史跡やエピソードをモチーフにしたデザインになっています。源頼朝が弓矢を奉納し、戦勝を祈願した横割八幡宮などが市内にあることから、富士市は富士川の合戦をモチーフとしたデザインになっています。

-画像あり-
(画像説明)ロゴマークを作成しました!

◇鎌倉殿へのはじまり
ゆかりの地をめぐるツアー

と き/3月13日(日曜日) 9時~12時30分
コース/市役所(バス移動)→横割八幡宮(富士第二小学校から徒歩移動)→車窓から「平家越」見学→【散策】鎧ヶ淵親水公園→滝川神社→竹採公園(バス移動)→富士山かぐや姫ミュージアム→市役所
※動きやすい服装で参加してください。
※散策には、ボランティアガイドがつきます。
※富士山かぐや姫ミュージアムでは、テーマ展「富士のふもとのかまくら時代」を見学します。
定 員/25人(応募者多数の場合、抽せん)
参加費/500円(バス代)
申込み/2月20日(日曜日)までに、市ウェブサイトで電子申請するか、はがきまたはファクス・Eメールに参加者全員の住所、氏名、年齢、電話番号を記入し、〒417-8601 富士市役所シティプロモーション課へ(1回で2人まで申込可)
問合せ/シティプロモーション課
電話 55-2958 ファクス 51-1456
Eメール so-citypro@div.city.fuji.shizuoka.jp

富士山かぐや姫ミュージアムテーマ展
「富士のふもとのかまくら時代」
〜源平合戦などの史跡紹介します〜

と き/3月13日(日曜日)まで 9時~16時30分
(休館日:月曜日、祝日の翌日)
問合せ/富士山かぐや姫ミュージアム
電話 21-3380 ファクス 21-3398
Eメール museum@div.city.fuji.shizuoka.jp

もっと楽しむなら、
富士山かぐや姫ミュージアムへ!

現在開催中のテーマ展では、NHK大河ドラマ「鎌倉殿の13人」に関連した鎌倉時代の富士市の歴史や、ゆかりの地などを紹介しています。ぜひ足を運んでみてください!
テーマ展オリジナルの「史跡・伝説あれこれマップ」も必見です!

問合せ 富士山かぐや姫ミュージアム 電話 21-3380 ファクス 21-3398 Eメール museum@div.city.fuji.shizuoka.jp

-画像あり-
(画像説明)QRコード 詳しくはこちら
(画像説明)市内50か所以上の史跡を掲載! 史跡伝説
(画像説明)富士山かぐや姫ミュージアム 佐野あき沙 調査員

お問い合わせ

シティプロモーション課広報広聴担当(市庁舎8階北側)

電話:0545-55-2700
ファクス:0545-51-1456
メールアドレス:so-citypro@div.city.fuji.shizuoka.jp

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