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更新日:2025年5月15日
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目次
鎌倉殿へのはじまり
初代鎌倉幕府将軍の源頼朝。彼は、武士による武士のための政治を始めた人物です。
北条義時にとっては主君であると同時に義兄であり、流人から鎌倉殿と呼ばれる地位にまで昇りつめていく姿を間近で見てきた相手です。その経験は、のちの幕府運営に影響を与えたとされています。
鎌倉殿へのはじまり
源頼朝は、平治元年(1159)、父の源義朝が同じ武士でライバルだった平清盛との戦い(平治の乱)に敗北し、伊豆へ島流しになりました。流人生活は20年にもわたり、そこで北条政子と結婚します。
治承4年(1180)、以仁王の平家追討の命令をきっかけに、各地の源氏が立ち上がり戦が始まります。壇ノ浦の合戦で平家が滅亡するまでの5年にも及ぶ数々の戦いを、源平合戦と呼びます。
源平合戦において、初戦は勝ったものの続く石橋山の戦いに敗北し安房国に逃れた頼朝は、体制を立て直し、富士川で平家軍と向かい合い勝利します。この戦いにまつわる数多くの史跡が富士市内に残されています。
平家滅亡後、鎌倉幕府を開いた源頼朝は征夷大将軍に任じられ、武士による武士のための政治を始めます。北条政子の弟である北条義時は、若いころから頼朝に仕え、頼朝の死後、幕府の執権として将軍を補佐する立場となります。
富士川の合戦
一度は平氏に敗れ、安房国に逃れた頼朝ですが、その後平氏の支配に不満を持つ武士たちを従えて勢力を拡大し、鎌倉を中心に東日本を勢力下に収めることに成功します。
源氏の勢力拡大を懸念した平清盛は、鎌倉に向けて頼朝討伐のために平維盛の軍を派遣します。これを迎え撃つべく、頼朝率いる源氏軍は鎌倉より出兵し、富士川を挟んで対陣します。この時、平氏側は富士川西岸に陣地を構え、源氏側は富士の加島に陣地を構えたといいます。
富士川の合戦は、意外な結末に終わります。夜中におこなわれた源氏側の移動によって起きた水鳥の羽音を敵の来襲と間違えて、平氏は戦いを交えることなく敗走したのです。こうして、源氏は戦わずして勝利をおさめました。
富士市内には、この戦いに関連して、平家越や呼子坂、物見堂など、市内の各所にゆかりの深い地名が残っています。また、市内の神社の中には、頼朝が祈願や奉納を行ったということや、戦いのための食糧を保管したなどの由緒を持つものも存在しています。
ゆかりの史跡
ゆかりの史跡を紹介します。
歴史に出会う ー富士地域 歴史散策ガイドマップー【PDF】(PDF:998KB)
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