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更新日:2025年5月15日
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目次
富士駅北地区について
富士駅北地区の歴史
古くは東海道の間宿として栄えました。明治22年には東海道線の開通と、平垣村を中心とした周辺の15村合併による加島村が誕生し、明治41年には富士製紙第8工場(現王子マテリア)が創業、翌年には国鉄富士駅が開設され、さらに、大正2年には富士-大宮(現富士宮)間に民営富士身延鉄道(現身延線)が開通したことから、段々と産業や人口が集中し、にぎやかな地域となりました。
昭和44年には身延線が西まわりに付け替えられ、地区の概要が大きく変化してきましたが、駅を中心とした商店街は富士市を代表する表玄関としての役割を果たし、発展してきました。
かじま祭り
こども相撲の前の神事の様子
「ふれあいのあるまち、かじま」をテーマに、多くの人が一堂に会することにより、郷土愛を育て、地域住民が協力してふれあいと連帯感のある明るいまちを目指して開催しています。