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ある担当者のつぶやき 【2月放送分】第5回~第8回

2022年02月24日掲載

 大河ドラマ「鎌倉殿の13人」の放送が開始されています。
 学生時代は日本史が苦手だった担当者が、大河ドラマの感想をつぶやいたり、物語をより深く楽しむためのポイントを頑張って解説したりします。

第八回 「いざ、鎌倉へ」(2022年2月27日放送):更新日3月3日

(画像)第8話のイメージ

 行進の順番や御所の配置を考えたり、みんなの不満を聞いて、仲を取り持ったり…鎌倉時代の戦場でも、現代の日常と同じような雑務があるのね、と親近感を感じました。心なしか、事務処理をしている北条義時は生き生きとしている気がします。
 牛若丸と武蔵坊弁慶の逸話でお馴染みの、源義経がついに登場しました。驚くほど純粋で明るい印象ですが、ふとみせた残酷さに怖さを感じます。源頼朝も時折みせる冷酷な表情がありますし、似ている兄弟なのかもしれませんね。義経の家臣たちと義時が出会ったら、お互い源氏に振り回される者同士、気が合いそうです。ところで、義経たちは富士山に登ったのでしょうか。富士山を見て、海に行って…一体どこまで寄り道しているのか、通ったルートが不思議です。
 大軍を率いて鎌倉入りした頼朝は、もう平家に勝ったかのように政子に語りかけますが…頼朝、後ろ後ろ!!亀の存在が、何だか不穏な未来を予感させます。

ポイント解説

当時の富士川について

(画像)富士川のイメージ

 次回予告で、富士川の合戦がでてきましたね。源氏軍と平氏軍は富士川を挟んで対陣したといわれていますが、そうなると、平家越の位置が不思議だと思いませんか?
 当時の富士川の下流部は、現在の位置と異なり、富士市市街地のあたりを通っており、現在の新富士駅周辺は湿地(もしくは湖)だったと考えられています。
 頼朝軍は富士川の東側、富士山や愛鷹山の山麓あたりを通り、高台に布陣したといいます。一方、出発が遅れた平氏軍は富士川西側、海沿いの平地を通り、戦では不利な低地に布陣せざるを得なかったそうです。
 次回の大河ドラマは、当時の富士川をイメージしながら楽しんでみてはいかがでしょうか。

第七回 「敵か、あるいは」(2022年2月20日放送):更新日2月24日

(画像)第7話のイメージ

 梶原景時が源頼朝を見逃した理由が判明しましたね!今回も天に守られた(?)頼朝ですが、浮気相手の夫から逃げるためだったことを景時が知ったら、呆れて次は見逃してくれないかもしれません。亀の夫も激情家のようでしたが、北条政子も気性の強い人なので、浮気がばれたら大変なことになりそうです。
 上総広常は説得のしにくい相手でしたが、北条義時が見事に口説き落とすことに成功しました。今までは素直に気持ちをぶつけていた義時ですが、頼朝の交渉術を学びつつあるようです。しかし、頼朝のはったりには、やはり敵いませんね。大軍を前にして、下手を打てば殺されてしまう状況をわかっていながら、自分の方が立場が上なのだと見せつけました。広常も、そんな頼朝の度胸の強さに棟梁としての器を見たのでしょうね。
 はたして、和田義盛の眉毛は、来週には戻っているのでしょうか。次回、しっかりと確認したいと思います。

ポイント解説

頼朝はどうして鎌倉に向かっているの?

 新たな味方を迎えた頼朝は、これから鎌倉入りを目指します。鎌倉入りは、第7回で味方に加わった、千葉常胤からの申し出だったともいわれています。
 鎌倉は、源氏一族にとってゆかり深い場所だったようです。鎌倉は、もとはというと、桓武天皇の子孫である平直方の土地でした。1028年、平忠常が関東で起こした反乱を源頼信が鎮めた後、直方は娘と頼義(頼信の子)を結婚させ、鎌倉を頼義に譲りました。それから、鎌倉は東国における源氏の拠点となりました。頼朝の父である義朝も、若き日に南関東の武士団をまとめ鎌倉に入り、そこから関東での地位を固めたといいます。
 頼朝が父と同じように関東武士団をまとめ上げて鎌倉に入ることは、父の仇である平家追討の物語として感動的な展開でした。
 また、当時、東北は藤原氏、北陸は木曽義仲、西国は平氏と朝廷が支配しており、これらの他勢力とのバランスが地政学的に良かったとも考えられています。

第六回 「悪い知らせ」(2022年2月13日放送):更新日2月17日

(画像)第6話のイメージ

 源頼朝を裏切ろうと提案したかと思ったら、心が折れた、としょげでしまった北条時政。早合点して攻撃を始めたり、ご褒美をおねだりする和田義盛。自由奔放な姿は、どこか憎めない愛くるしさがあります。
 何故、梶原景時は頼朝を見逃したのでしょうか。ここで、ある上司のつぶやき。「今まさに敵に見つかる!という時に、雷によって命拾いをした頼朝に対して、天に守られている人物だと思ったのでは?」…なるほど!もう歩けない、と駄々をこねる頼朝を見ていると、棟梁の器とは…?と不安になってしまいますが、何度も命拾いするなんて、何か「持ってる人」なのでしょう。
 北条義時が兄宗時の死を知り、遺志を受け継ぐ決心をしました。坂東武士の若者たちは、それぞれ立場も考え方も異なりますが、坂東武士の世を創るのは、きっと彼らなのではないでしょうか。

ポイント解説

和田義盛がおねだりしていた、侍別当(さむらいべっとう)とは?

 侍別当とは、軍事や警備を司る行政機関の長官(組織のトップ)のこと。現代で言うと、防衛大臣兼警察庁長官でしょうか。
 先の大敗した石橋山の戦いでは、川を渡れず加勢できなかった義盛が、活躍後の褒美を請求とは、なかなかの強者ですよね。

武田信義は源姓でないのに源氏なの?

 甲斐源氏である武田信義は、自分こそが源氏の棟梁だと言っていましたね。
 清和天皇を祖先とする源姓を名乗る一族を、清和源氏と言いますが、清和源氏の子孫は各地に住み着いて独自に繁栄しており、源頼朝の属する河内源氏や甲斐源氏、信濃源氏などが派生しました。
 武田信義の姓が源でないのは、祖先が領有した地名から武田姓を名乗っていたため。これからドラマにでてくる信濃源氏の木曽義仲も同じです。
 源氏全体を統括するリーダーはおらず、長い間流人となっていた頼朝は河内源氏内でも棟梁と認められていなかったそうです。
 これから頼朝は、自分が棟梁であると他の源氏たちに認めさせるために行動していきます。

第五回 「兄との約束」(2022年2月6日放送):更新日2月9日

(画像)第5話のイメージ

 歴史の予習をしているのでドラマの展開は予想していましたが、それでも悲しい回でした。北条宗時は弟任せの能天気な人かと思っていたら、周りを鼓舞する雄々しい姿がなんとも頼もしい人でした。
 戦ではたくさんの人が亡くなるので、それが自然なことのように見えてしまいそうですが、初めての戦に怯えている北条義時の姿をみると、誰もが命を失うのは怖いのだと当たり前のことにハッとさせられます。
 いつも家族に振り回されていた義時が、兄から北条家の未来を託されました。これから義時は坂東武士たちをまとめあげていくのでしょうか、それとも今度は坂東武士たちに振り回されてしまうのでしょうか。
 とにかく、まずは味方を集めないと平家に勝てないぞ、義時!

ポイント解説

富士市出身の武士、鮫島宗家について

 残念ながらドラマでは名前がでてきませんでしたが、「吾妻鏡」(鎌倉幕府が自ら編さんした、鎌倉時代の前半を記録した歴史書)には、石橋山の戦いの際に源頼朝に従った武士として、富士市出身の鮫島宗家が登場します。
 駿河国の武士では唯一、頼朝の平家追悼の旗揚げからずっと臣従した宗家は、頼朝から厚く信頼を得て、富士川の合戦では道案内として活躍したとされています。
 また、富士市鮫島には、宗家が氏神として崇敬していたといわれている日吉神社があります。

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交流観光課 観光担当(市庁舎5階南側)


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ファクス:0545-55-2937
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