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ある担当者のつぶやき 【1月放送分】第1回~第4回

2022年02月03日掲載

 いよいよ、大河ドラマ「鎌倉殿の13人」の放送が開始されました!
 学生時代は日本史が苦手だった担当者が、大河ドラマの感想をつぶやいたり、物語をより深く楽しむためのポイントを頑張って解説したりします。

第四回 「矢のゆくえ」(2022年1月30日放送):更新日2月3日

(画像)第4話のイメージ

 兵が集まらない!と挙兵を延期しようとする頼朝と、なんとしても挙兵を実行しようとする北条家のやりとりは、命がけの状況とは思えないほどコミカルでしたね。駄々をこねる頼朝は、まるで子どものようです。
 きっと挙兵の時には頼もしいはず、と思っていましたが、どうやら頼朝はお留守番のご様子。戦の準備は義時たちにお任せで、命令をする時は堂々とカッコ良く、後はお留守番なんて、なんだか良いとこどりでずるいですね。
 八重の気持ちが分からず不思議ですが、義時たちの味方ではなさそうです。あの矢は、家族を裏切れない八重が、愛する人を守るためにできる限界のところだったのでしょうか。八重にとっては、源氏や平氏の戦いよりも、大切な人達が生きていることが大事なのかもしれません。
 山木兼隆を襲撃した後、富士市出身の武士である鮫島四郎宗家が頼朝に臣従したといわれています。次回、鮫島の名前はでてくるでしょうか。注目ですね!

ポイント解説

どうして源頼朝をリーダーにしたの?

 武士の誕生について、起源は2種類と考えられています。一つは農民が土地を守るために武力を持ったもの、もう一つは、下級の貴族が武力を身につけ、地方の治安維持に派遣されたものです。
 武士の2大勢力といえば平氏と源氏ですが、平氏の祖先は桓武天皇、源氏の祖先は清和天皇になります。当時は、天皇に近い血統を持つことが身分の高さに繋がります。東国武士たちにとって頼朝は、はるかに高い身分の人であり、憧れの存在でした。平氏に対抗できる血筋を持つ頼朝の存在は、東国の武士たちを束ねるうえで適任だったのでしょう。

男性が頭にかぶっているものは?

 義時たちが頭にかぶっているのは、烏帽子(えぼし)と呼ばれる、成人男性がかぶる帽子です。当時、頭頂部を人前にさらすことは恥ずかしいこととされており、お風呂に入る時も寝る時も、ずっとかぶっていたそうです。頼朝がかぶっているのは「立烏帽子(たてえぼし)」という、貴族のスタンダードなかぶり物。義時たちがかぶっているのは「折烏帽子(おりえぼし)」といい、激しく動いても烏帽子が取れないような形になっています。

第三回 「挙兵は慎重に」(2022年1月23日放送)

(画像)第3話のイメージ

 戦の準備が始まり、一気に登場人物が増えて、物語が複雑になってきました。学生時代の選択授業の時に、人名が覚えられなくて日本史を避けた身としては、辛い展開ですが、物語に置いていかれないように頑張ります。
 後白河法皇の生霊が夢に出てくる演出は斬新でした!平安時代には、占いや祟りを強く信じていたそうなので、現代よりも霊が身近な存在だったのでしょうね。
 義時たちは飢饉を恐れて食べるものを節約しようとしているのに、目代(地方を治める役人の代理人)の人たちは、義政からの野菜を無下に扱っていたということは、貧富の差が激しいのでしょうか。こういった政治への不満が、のちのちの戦に影響を与えるかもしれません。
 初戦の狙いが目代の兼隆になったのは、ナスを踏まれた恨みを晴らそうとしているのかもしれませんね。いやはや、食べ物の恨みは恐ろしいです。

ポイント解説

どうして後白河法皇は平清盛に幽閉されたの?

 当時、朝廷では院政を行っていました。院政とは、天皇の代わりに上皇(元天皇)や法皇(上皇が出家してお坊さんになった人)が政治を行う体制のこと。もともとは、天皇が子供や女性だった時に政治をサポートする摂政という制度が変化して生まれたシステムです。
 高倉(平清盛の妻の妹の子。清盛の子の夫でもある)が天皇を継承し、後白河院政になると、政治的に影響力を持った清盛と後白河は対立していきます。
 1179年、清盛は武力によるクーデターを起こし、後白河院政を停止させ、多くの公卿(国政を担う高官)を解任して、政権を掌握しました。後白河院政を排除し、平氏による政権を始めようとしたのです。

第二回 「佐殿の腹」(2022年1月16日放送)

(画像)第2話のイメージ

 お互いの好意を伝え、見つめ合う源頼朝と北条政子のシーンは、今は月曜日の9時だったかしら、と勘違いしてしまいそうなラブ・ロマンスでしたね。史実に沿いつつ、人間ドラマが面白く描かれているので、大河ドラマ初心者にも楽しめるよう工夫されています。北条政子といえば、頼朝亡き後、政治において影響力を持つ強い女性というイメージですが、今回の大河ドラマでは、乙女で可愛らしい印象です。なんて思っていたら、八重の所にのりこんで、正面対決!さすが武士の娘である2人、強いです。
 さて、渦中の人である頼朝はというと、のんびり入浴中。のんきな人だなあ、と思いきや、最後の急展開に驚きました。義時にだけ明かした、頼朝の胸の内。義時の人生が、大きく動き出しそうです。

ポイント解説

源頼朝は、いま何歳なの?

 頼朝が伊豆に流罪となったのは、14歳の時。15年余りを伊東祐親が預かり、その時に八重との間に子供ができたとされています。
 頼朝が北条時政のところに移ったのは29歳の時で、北条政子は19歳、義時は13歳でした。
 流人(政治犯)となっていた間の頼朝について、史料はほとんど残っていないため詳細は分かりませんが、身分が高い人として扱われ、ある程度の自由が与えられていたと考えられています。
 とはいえ、平家追討の挙兵をするまでの人生の半数以上を流人として過ごし、ずっと平家打倒の機会を狙っていたのだとしたら、壮絶な人生です。

第一回 「大いなる小競り合い」(2022年1月9日放送)

(画像)第1話のイメージ

 第1話では、緊迫感のあるオープニングから始まり、周囲に振り回される北条義時のドタバタ劇、そして訪れる危機——と、シリアスからコメディーまで、三谷監督作品ならでは、といえる濃密な1時間でした。
 宴会の賑やかな雰囲気のなか、一人だけ汚れた服を着た工藤祐経は印象的でしたね。祐経と伊東祐親の間に、一体なにがあったのかについては、「曽我兄弟の仇討ち」を読んでいただくと、より深く物語を理解いただけると思います。
 それにしても、源頼朝は、得体の知れない人物ですよね。雅で穏やかな顔、息子の死をあっさりと受け入れる冷酷とも見える顔、息子の仇を憎み激情する顔—どれが本当の頼朝なのでしょうか。今後、どのように頼朝と義時が信頼関係を築いていくのか、そして、頼朝、義時、八重姫と北条政子の恋愛関係はどうなっていくのか、楽しみです!

ポイント解説

どうして源頼朝は流罪になったの?

 平清盛と源義朝(源頼朝の父)は、ともに武士でありライバル関係にありました。
 平安時代、上皇(元天皇)である崇徳上皇と現役の天皇である後白河天皇による政権争いが発生したとき、平清盛と源義朝は後白河天皇側として戦いました。
 後白河天皇の勝利の後、天皇が可愛がったのは平清盛でした。一緒に戦った源義朝としては面白くありません。そこに朝廷内の争いなどが加わって戦となり、平清盛と源義朝は対立します。このとき、源頼朝も戦に参加していました。
 戦は平氏の勝利に終わり、頼朝は処刑されるところでしたが、清盛の継母にあたる池禅尼の命乞いがあり、伊豆へ島流しとなります。
 現代とは違い、通信や交通手段も少ない時代。都から遠く離れた土地へ追いやることで、反抗する力を持たせないようにしたのです。

どうしてみんな平清盛を恐れているの?

 源義朝に勝利してからの平清盛は凄まじい勢いで力を持っていきます。清盛は武力を背景に武士として初めての太政大臣(今の総理大臣)にまでのし上がり、自分以外の平家の一族も朝廷(天皇が政治を行う場所)の重要な役職を独占して、「平家にあらずんば人にあらず」(平家でなければ人ではない)といわれるほどになりました。さらに清盛は宋(今の中国)と神戸で貿易を開始して、経済の面でも力を持っていました。

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交流観光課 観光担当(市庁舎5階南側)


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