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ある担当者のつぶやき 【8月放送分】第30回~第33回

2022年09月02日掲載

 大河ドラマ「鎌倉殿の13人」が放送されています。
 学生時代は日本史が苦手だった担当者が、大河ドラマの感想をつぶやいたり、物語をより深く楽しむためのポイントを頑張って解説したりします。

第三十三回 「修善寺」(2022年8月28日放送):更新日9月2日

(画像)第33話のイメージ

 現在の鎌倉幕府は、りくの思いのままになっているようですね。朝廷と親戚関係を結ぶことは、源頼朝が切望していたことでした。りくは、頼朝を超える権力を手に入れようとしているのでしょうか…恐ろしい女性です。
 修善寺に幽閉された頼家が、父の頼朝のように再起をかけて戦おうと決意していたところでは、未熟なお坊ちゃまかと思いきや、立派に武士だなあと感じます。頼家が持っていたお面は、修禅寺に存在する頼家所蔵と伝わるお面を表現しているのでしょうか。細やかな演出がすごいですね!
 戦う場面での善児とトウのコンビネーションは秀逸で、2人が揃うと無敵!といった頼もしさがありました。トウが復讐を果たした場所が、両親が殺された修善寺ということに、因縁を感じます。修善寺…終、善児…?一体どこまでが計算された脚本なのでしょうか。

ポイント解説

後鳥羽上皇と和歌について

 三善康信の擬音しかない和歌の講義、とても面白いシーンでしたね。
 この時代、和歌についても蹴鞠と同様、後鳥羽上皇に近づくための立派な政治ツールだったようです。

 後鳥羽上皇といえば、後白河法皇の孫であり、三種の神器がないまま天皇に即位した(源平合戦の時に草薙剣を紛失したため)人物です。後鳥羽上皇は多芸多才で、蹴鞠、琵琶、水泳や鍛刀などの他、和歌についても一流だったと言われています。
 後鳥羽上皇の命令により編さんされた「新古今和歌集」は、鎌倉時代の初期、朝廷が衰退し武士が権力を持ちはじめたときに作成されました。
 作風は、繊細で優雅、趣のある美の世界を表現したものになっています。「本歌取り」の技法を用いた和歌(昔の歌の言葉遣いや表現を用いて、新しい歌にすること)が多くあり、技巧的な作風も特徴です。
 この作風には、このような繊細で複雑な歌は武士には理解できないだろう、といった後鳥羽上皇の武士に対する対抗心が含まれていると考えられています。

第三十二回 「災いの種」(2022年8月21日放送):更新日8月26日

(画像)第32話のイメージ

 命令とあれば平然と人を殺してきた善児が、仕事に躊躇することがあるとは!善児にも心があることに驚いてしまいました。ただ、命令に背く善児は、もはや北条義時にとって不要な存在になりそうです。
 伊豆に追いやられた源頼家、鎌倉幕府に近づく後鳥羽上皇、兄を殺された頼家の次男・善哉…あちこちで不穏な空気が流れています。誰とでも良い関係を築けていた義時ですが、たちまち敵だらけになってしまいそうです。
 義時の立場を理解し、自ら離れることを決めた比奈は、強く聡明な女性です。変わりゆく義時を受け止めてくれていた比奈の存在は、義時の支えだったことでしょう。息子の泰時や姉の政子との信頼関係も揺らぎ、どんどん孤立していく義時が心配です。

ポイント解説

仁田忠常の人穴(ひとあな)探検

 今回、源頼家と北条の間に挟まれ、亡くなってしまった仁田忠常。吾妻鏡には、彼が富士の巻狩りに訪れた際、富士宮市人穴で不思議な体験をしたことが書かれています。
 
 人穴浅間神社の境内にある人穴は、長さ約83メートルの溶岩洞穴です。古くから神聖な場所であるとされ、江戸時代には修行やお参りに多くの人が訪れたと言われています。

 吾妻鏡によると、富士の巻狩りの際、源頼家は仁田忠常に剣を渡し、人穴を探検するように命じました。忠常と5人の家来が人穴に入ると、中はコウモリが飛び交い、足元には大量の蛇。千人の大軍を思わせるような叫び声やすすり泣きが聞こえます。
 途中で大きな川があり先に進めずにいると、川の反対側から不思議な光が現れ、4人の家来がたちまち死んでしまいます。
 すると霊の導きがあり、忠常は頼家から授かった剣を川に投げ入れ、なんとか人穴から逃げることができました。
 この話を聞いた地元の老人が「この穴は富士山の神様が住む場所で、入ってはいけない」と言った、と書かれています。

第三十一回 「諦めの悪い男」(2022年8月14日放送):更新日8月19日

(画像)第31話のイメージ

 亡くなった兄の遺志は、忘れられることなく、ずっと義時の中にあったのですね。これから義時は、「坂東武士の世を創り、その頂点に北条が立つ」という兄の夢を果たすため、容赦なく敵を排除していくのでしょうか。覚悟を決めた顔が、頼もしくもあり、切なくもあります。
 多くの人を陥れてきた比企能員なので、能員の最期に同情はしませんでしたが、義時に対する恨み言は呪いのようでゾッとしましたね。
 三十一話タイトルの「諦めの悪い男」は、丸腰と見せかけて、しっかり武装していた能員のことだと思っていましたが、最後に頼家が奇跡的に回復し、このことか!と見事な伏線の回収に驚きです。次回、この窮地を北条氏はどう乗り切るのか楽しみです。

ポイント解説

吾妻鏡で描かれる比企の乱は、北条氏の創作だった?

 頼家が病に倒れ、後継者問題で対立した比企能員と北条時政。比企の乱は、能員とその一族が時政に滅ぼされる事件を言いますが、その内容は史料によって異なっています。

 鎌倉幕府が編さんした正史書といわれる「吾妻鏡」で描かれる比企の乱は、頼家の弟・千幡と頼家の長男・一幡で分割して相続するという幕府の決定に不満を持った比企能員が、千幡と北条氏を討つことを決意することから始まります。
 能員は、娘の若狭局を通じて、頼家に時政を討伐する許可をもらいますが、その密談を障子の影で聞いていた政子が父・時政に伝えます。
 その話を知った時政は、仏事に託けて能員を誘い出し、暗殺。政子の命により派遣された軍により、一幡ともども比企一族は滅ぼされました。

 一方、天台宗総本山の僧侶、慈円が編さんした史論書(歴史についての評論)「愚管抄」によると、病に倒れた頼家は一幡に家督を継承する準備を始めます。それに危機を覚えた時政が比企能員を呼びだし殺害、さらに一幡を殺すため軍を派遣したとされています。

 また、同時代の貴族の日記には、建仁3年(1203)9月7日に京都に到着した鎌倉幕府の使者が、「9月1日に頼家が病死したため、弟の千幡を将軍にしてほしい」と告げたことが書かれています。頼家が亡くなっていないうちに、幕府の誰かが朝廷に使者を派遣したことを示しているのです。
 このことから、事件の首謀者は時政であり、吾妻鏡の記述は、先に仕掛けたのは比企氏のほうだという、北条氏の都合の良い内容で創作されたものと考えられています。

第三十回 「全成の確率」(2022年8月7日放送):更新日8月19日

(画像)第30話のイメージ

 北条政子の髪型は気になっていたので、実衣が聞いてくれてスッキリしました!丸坊主ではなかったのですね。政子が尼御台となり、少し距離ができていた政子と実衣ですが、久しぶりの姉妹らしい会話にほっこりしました。
 実衣と全成の夫婦の会話も、ドラマの癒しポイントだったので、全成の退場は非常に残念です。全成が最期につぶやいていた呪文は、九字護身法と呼ばれる、災難を除くための呪法のようです。自分の命が尽きるまで、実衣を守ろうとした全成の姿、かっこよかったですね。
 それにしても、鎌倉幕府では謀反を疑われて多くの人が殺されてしまいましたが、ほとんどの原因はりくと比企能員ですよね。りくの望みを叶えようとする時政は、器が大きいのか尻にひかれているのか…。時政の命運は、りくが握っているようです。

ポイント解説

北条政子がしている「尼削ぎ(あまそぎ)」とは?

 「尼削ぎ」とは、肩の辺りで切りそろえた髪型のことで、現代の「おかっぱ」になります。
 平安時代から、貴族の女性による出家が増えました。世間を離れて静かに暮らすためや、夫に先立たれ生活支援を受けられなくなったため、または政子のように夫亡き後の家を守り、夫の菩提を弔い続けるためなど、様々な理由により出家しました。生活基盤のある尼は、尼寺に入らずに出家前と同じ家に住み続けることもありました。
 平安時代の女性は長い髪をとても大事にしていたため、尼削ぎを剃髪(頭を丸めること)の代わりにしていたようです。
 ちなみに、政子が頭に被っているものは「帽子(もうす/ぼうし)」と呼ばれる僧や尼が防寒対策に被る頭巾です。帽子は、宗派によっては位の高い僧しか被ることを許されないこともあるそうです。

お問い合わせ

交流観光課 観光担当(市庁舎5階南側)


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ファクス:0545-55-2937
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