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【広報ふじ令和2年】市内の戦争遺跡をご存じですか?

2020年07月20日掲載

特集 戦争と平和
〈市内の戦争遺跡をご存じですか?〉

戦争遺跡は、地下壕(ごう)や空襲の跡、戦没者慰霊碑といった戦争関係の建造物や痕跡など、戦争の実態や悲惨さを伝える貴重な資料です。
市内にある戦争遺跡を通じて、平和について考えてみませんか。

◆市内の戦争遺跡(抜粋)
市内には、大芝裁縫女学校跡の記念碑(水戸島元町)や、爆撃のため根元だけが残った鳥居跡(伝法)、愛宕(あたご)山の平和祈念碑と地下壕(岩淵)、開拓の記念碑(森下)などがあります。このうち、2例を紹介します。
■大芝裁縫女学校記念碑
太平洋戦争による労働力不足を補うため、国策として女性を軍需工場に送り込む「女子挺(てい)身勤労令」のもと、昭和19年5月に廃校が決定しました。校舎は解体され、その資材は旧清水市にあった工場宿舎に使われました。卒業生たちは、市内の印刷工場に女子挺身隊として送り込まれました。
昭和62年、卒業生の有志が、この学校跡地に記念碑を建立しました。
-写真あり-
(写真説明)大芝裁縫女学校の外観
(写真説明)卒業生が建立した記念碑

■爆撃を受けた鳥居跡
戦時中は富士市にも空襲があり、犠牲者が出ました。昭和20年には長沢から中桁にかけて数発の爆弾が投下されました。その空襲により、学校に行っていた小学生の長女を除いて家族全員が亡くなったという話が伝わっています。この周辺で、爆撃を受けた鳥居跡は今も残っています。
-写真あり-
(写真説明)根元だけ残る鳥居跡

◆後世に残すため
市は、今年、核兵器廃絶平和都市宣言から35周年を迎えます。市内の戦争遺跡を市内外の人たちに広く伝え、後世に残していくため、戦争遺跡マップを作成します。このマップは、平和啓発事業などで配布します。
また、それぞれの戦争遺跡を説明する看板も製作し、順次設置していきます。

●戦争遺跡を訪れる際はご注意ください!
戦争遺跡の中には、私有地または悪路を通らなければ行けない場所があります。私有地への無断侵入や違法駐車などの迷惑行為は、絶対にしないでください。また悪路を通行する際は、事故に気をつけてください。

◆平和考える新聞などを発行

核兵器廃絶平和富士市民の会
毎年8月に、戦争の恐ろしさや平和の尊さを伝える「平和のための富士戦争展」を開催してきましたが、今年は新型コロナウイルス感染症の拡大防止のため中止しました。
その代わりに、戦争や平和について学び、考えるための新聞などを発行します。新聞には市内の戦争遺跡マップを掲載し、それぞれの戦争遺跡を紹介します。
新聞は、市内の小・中学校や高校の児童生徒たちに読んでもらいたいと思っています。家族で戦争と平和について考えるきっかけになることを期待しています。
-写真あり-
(写真説明)核兵器廃絶平和富士市民の会」の皆さん

問合せ/シティプロモーション課
電話 55-2736 ファクス 51-1456 Eメール so-citypro@div.city.fuji.shizuoka.jp

お問い合わせ

シティプロモーション課広報広聴担当(市庁舎8階北側)

電話:0545-55-2700
ファクス:0545-51-1456
メールアドレス:so-citypro@div.city.fuji.shizuoka.jp

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