2023年10月10日掲載
学校名 | 富士市立吉永第二小学校 |
住所 | 富士市鵜無ヶ淵149番地の1 |
電話 | 0545-21-2190 |
ファクス | 0545-21-2093 |
小中一貫教育目標 | 自分らしく ともに かがやく |
重点目標 | 「いいね!!」を広げよう |
校歌
富士の高嶺の気高さを
心の糧と仰ぎ見る
吉永二小の名も高く
学びの誉あげようと
明るくともに手をとろう
駿河の海の豊かさを
わがあこがれと望み見る
吉永二小の名も高く
学びの誉あげようと
楽しく肩をくみあおう
古い歴史の伝統を
誇りも高く受けついで
吉永二小の名も高く
学びの誉あげようと
元気な瞳見ひらこう
明治初期 | 今泉村神戸常願寺に寺子屋を開設 |
8年 | 神戸常願寺に七邑舎を設立 |
22年 | 吉永村穆清小学校分教場となる |
25年 | 吉永村鵜無ヶ淵尋常小学校となる |
昭和 16年 | 富士郡吉永村吉永第二国民学校と改称 |
22年 | 富士郡吉永村立吉永第二小学校と改称 |
29年 | 吉原市立吉永第二小学校と改称 |
41年 | 富士市立吉永第二小学校と改称 |
46年 | JRC特別活動研究発表会開催 |
47年 | 学制百年を祝う会 |
55年 | 勢子辻分校閉校式 |
63年 | 校舎改築移転、落成式 |
平成 元年 | 体育館・プール落成式 |
5年 | 金銭教育指定研究発表 |
6年 | 西校舎新築 |
18年 | 児童クラブ設置(運動場北西) |
22年 | 太陽光発電開始 |
本校は、富士市の東北部に位置し、愛鷹山に源をもつ赤淵川の河岸段丘に沿って点在する林業を中心とする六つの集落のための学校として、明治25年に開校された。昔か らの集落には、史跡や伝統芸能などが原型のまま残されており、歴史教材が豊富である。
かつては、農業が盛んであったが、現在は住宅地に変容している。昭和50年以降、大きな住宅団地が造成され、他地区からの人口の流入があり、児童数が増加してきた。しかし、近年は、少子化傾向により減少している。
自然環境については、学校周辺に茶畑や樒畑が広がり、学区全体にわたって豊かな自然が残っている。赤淵川は、古い地層からなり、愛鷹山西麓には落葉樹が生い茂り、現在も赤淵川上流に豊かな水をわき出す源となっている。そのため、ハコネサンショウウオやアシタカジャコウソウなど、貴重な動植物が見られる。また、通学路の道ばたにも野草が四季折々に咲き乱れ、登下校する子どもたちの目を和ませている。
また、縄文時代の遺跡や古墳、城郭跡の遺跡や文学者「巖谷小波」氏の句碑、「仁藤春耕道標」等、歴史的遺物も多い。
しかし、最近は、県道の拡幅工事や富士、富士宮を繋ぐ工事が進み、通勤路として利用されるようになるに従い、交通量も増えてきている。また、校区に新東名も建設され、住環境にも大きな変化が生まれている。
地域には、学校に協力的な方々が多く、大勢の支援者に支えられている学校である。
本校の子どもたちは、素直で優しい子どもが多く、明るいあいさつが身に付いてきている。「あいさつ+1(プラスワン)」を合言葉に、あいさつがさらに広がってきている。また、自分の目標がはっきりすると、一生懸命に取り組もうとする子どもが多い。児童数は少ない(90名)が、男女問わず仲がよい。縦割り活動だけでなく、学校生活全体にわたって、上級生が下級生の面倒をよく見る。授業では、友達や教師の話をしっかり聴いたり、素直に自分の思いを話し伝え合おうとしたりする姿勢も育ってきている。さらに、JRC活動にも参画し『自分も大切 あなたも大切』を合言葉として取り組んでいる。
本校正門脇の巌谷小波句碑
「鞍に伏し 柿の下行く 小路かな」
郷土資料コーナー
巌谷小波先生の紹介
吉永第二小学校(富士市鵜無ヶ淵149番地の1)
電話:0545-21-2190
ファクス:0545-21-2093