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「教育×環境×観光」―富士を”ただ訪れる街”から”学び滞在”する街へ
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富士市出身の中島吾郎さんは、田子浦小学校、富士南中学校、富士高校を卒業後、法政大学工学部へ進学しました。卒業後は地元に戻り、富士通(沼津工場)に勤務。社会人としての第一歩を故郷で踏み出しました。
しかし2007年、中島さんの人生は大きな転機を迎えます。子どものころから心に残っていたテレビドラマ「北の国から」。その舞台となった北海道・富良野で、「北の国から」の脚本家・倉本聰さんが設立した「富良野自然塾」がスタッフを募集していることを知りました。面接で倉本さんの熱い思いに触れ、「自分の人生をかけてみたい」と決意。北海道へ移住することを選びました。
富良野での17年 ― 自然を取り戻す活動
自然塾での活動は、ゴルフ場跡地を森に戻す取り組みから始まりました。一本ずつ木を植え、森の再生を進める地道な活動。さらに、自然の大切さを体感できる環境教育プログラムを企画し、子どもたちの学びや企業の研修にもつなげていきました。
「森が少しずつ変わっていく姿を見ること、そして自然の中で子どもたちが変化していく瞬間に立ち会えることが、何よりの喜びでした」と中島さんは語ります。
2011年の東日本大震災を機に、自然と人との関わりを見直す機運が全国で高まり、活動の重要性も注目されるようになりました。厳しい冬の寒さや雪に苦労しながらも、次第に組織の中でリーダーを務める立場となり、仲間とともに17年間にわたって森を育て続けました。
富士とのつながりを保ち続けた年月
北海道での活動に没頭しながらも、中島さんの心には常に「富士」がありました。環境アドバイザーとして富士市の取り組みに関わる機会があり、市役所職員や地域とのつながりを保っていたのです。
そんな折、2023年に富士市が進める南富士エリアでの新しい環境・地域活性化プロジェクトが動き出すということを知りました。自然塾でも若い世代が育ち、現場を任せられる体制が整ったこともあり、「今なら富士へ帰ることができる」と決断。2024年春、ついにUターンを果たしました。
富良野の学びを、富士で活かす
「富士市は、海も山もあり、自然環境がとても豊かなまちです。ここで育った自分だからこそ、この自然を次の世代に伝えていく役割を果たしたい。富良野で学んだ“自然と人のつながり”を、ふるさとである富士でも活かしていきたいですね」と中島さん。
今後は、子どもたちへの環境教育や、地域資源を生かした人材育成などに取り組みたいと考えています。
中島さんが今後目指すもの
中島さんがこれから挑戦したいと考えているのは、単に自然を守ることにとどまりません。富良野で培った「自然の中で人が学び、成長する仕組み」を、富士市でもつくり出していくことです。
「子どもたちが自然の中で遊び、学び、仲間と一緒に考える体験は、将来の生きる力につながります。そうした体験の場を富士で広げたい」と語ります。
さらに、地域の大人たちや企業とも連携し、環境教育を通じて”地域全体で人を育てる仕組み”を築いていきたいと考えています。富士山や駿河湾といった豊かな地域資源を教材にしながら、環境と経済、暮らしが調和する未来像を描いています。
「富士市には、自然だけでなく、人と人をつなげる力もある。世代や立場を超えて学び合える場を広げ、子どもから大人までが“自分のまちに誇りを持てる”ようにしたいです」と、中島さんの目は未来を見据えています。
学び滞在する新しい観光の形
中島さんは、自然の学びだけでなく、富士市の観光にも力を入れていきたいと考えており、Uターン後に起業した組織(一般社団法人F-PRIDE)は観光事業も軸の1つです。2025年の富士市のスタートアップ支援制度「富士市アクセラレーションプログラム F-Accel」に応募し、採択されています。富士市の観光をただ案内するだけでなく、学びや滞在を重視した観光に変化させるために、プランニングしています。
- 既に来ている観光客をまずきちんと受け入れできるよう、おもてなしや案内体制の構築
- 富士市の自然、歴史、文化、食を組み込んだ体験型ツアーの企画
- 教育旅行や研修旅行など、滞在を伴うプログラムの開発
これまでとは違う、このような取り組みに挑戦していき「自分の故郷で、自分が感じてきた富士の良さを活かしながら、新しい価値を作っていきたい」と語ります。