五貫島(ごかんじま)
明治22年(1889)までは五貰島村と呼んでいました。一説では、古郡氏の新田開発で生まれた加島五千石が、五十石足りなかったので、さらにこの地を五十石開墾したことから、五貫文の地、つまり五貫島と呼んだということです。
別の説では、江戸時代の初め、だれかがこの地を開発して、五貫文の知行地として与えられたからとも言われてます。
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