かんがい用につくられた“二本とい”
みなさんの家の近くには、どんな川が流れていますか。富士川、うるい川、凡夫川、須津川、赤淵川などたくさんの川が流れていますね。
私達人間は、一番はじめに川の周辺に住みました。きれいな川の水は飲み水やせんたくやお風呂の水としても使えるし、また魚や貝もとれ、生活しやすいからです。米作りにも水は欠かせません。
富士市は、三島、富士宮とともに全国でも水が豊富なところです。たくさんの水を利用しての製紙業は、今では全国一です。
このように、水はいろいろ利用され私達の生活を豊かにしてくれますが、反面せっかくつくった稲や家、そして人間までも押し流してしまうおそろしい洪水があります。昔から人々は、水の流れをよくしたり、水害を防ぐためいろいろくふうして水とたたかってきました。“二本とい”もそのひとつで、かんがい用につくられました。
“二本とい”とは、今から800年くらい前(鎌倉時代の初め頃)植松兵庫之助信継(のぶつぐ)という人が厚原に移り住んでつくったものです。長さは6.4キロメートル、幅は2〜5メートルあります。その間に入山瀬、厚原、久沢、伝法の村があって、この堀割にそって発達してきました。今までになん回もつくりなおされ、昭和7年には二本といのうち厚原といをコンクリートに、昭和8年伝法といをコンクリートに、昭和11年にはうるい川のとり入れ口をなおして新しい水門をつくりました。
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