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富士市名誉市民


 富士市民または富士市に関係の深い人で、産業・学術・技芸などにより、市勢の興隆と社会文化の進展に貢献し、もしくは富士市の功労者として、その事績が特にすぐれ、住民の尊敬の的と仰がれる人に富士市名誉市民の称号を贈り、その人の事績と名誉を顕彰することを目的としています。
 昭和41年の合併前に吉原市名誉市民として3人、合併以降に富士市名誉市民とし2人に称号をお贈りしています。

戸塚 洋二氏(平成14年12月4日決定)

【写真】戸塚洋二氏

 戸塚氏は、昭和62年、岐阜県神岡町(現:飛騨市)に設置した素粒子観測施設カミオカンデにおいて、ノーベル物理学賞に輝いた小柴昌俊氏や梶田隆章氏とともに、太陽系の外から飛来した超新星爆発によるニュートリノの観測に世界で初めて成功しました。
 また、ニュートリノ天文学という新しい研究分野を誕生させ、太陽から飛来するニュートリノの観測にも成功しました。
 さらには、スーパーカミオカンデを建設し、ニュートリノ振動実験に成功。ニュートリノに質量があることを証明し、文化勲章など数々の賞を受賞されました。
 科学の発展と国際社会の発展に貢献する姿勢への信望は厚く、国内外の物理学界のみならず多くの国民に賞賛されています。

※ニュートリノとは
 物質を構成している最小の粒子を素粒子と言います。原子核の陽子や中性子を構成する粒子の仲間(クォーク)と、電子の仲間(レプトン)が素粒子と考えられています。レプトンのうち、電気を持たない粒子をニュートリノと呼んでいます。

[主な経歴]
昭和17年 富士市富士岡生まれ
※その後、吉永村立吉永第一小学校、吉原市立穆清(ぼくせい)中学校、静岡県立富士高等学校を卒業後、東京大学へ入学。同大学大学院理学系研究科博士課程修了。
昭和47年10月 東京大学理学部助手
昭和54年5月 東京大学理学部助教授
昭和62年5月 東京大学理学部教授
昭和63年4月 東京大学宇宙線研究所教授
平成7年4月~平成14年9月 東京大学宇宙線研究所附属神岡宇宙素粒子研究施設長
平成9年4月~平成13年3月 東京大学宇宙線研究所所長

平成14年12月 名誉市民となる
平成20年7月 逝去

[主な受賞歴]
昭和63年・平成11年 朝日賞
平成元年 アメリカ天文学会ロッシ賞
平成3年 井上学術賞
平成7年 ヨーロッパ物理学会特別賞
平成13年 紫綬褒章
平成14年 アメリカ物理学会パノフスキー賞・藤原賞・文化功労者
平成16年 文化勲章
平成19年 ベンジャミン・フランクリン・メダル受賞

齊藤 滋与史氏(平成18年9月11日決定) 

【写真】齊藤滋与史氏

 吉原市長であった齊藤氏は、昭和41年、将来の郷土の発展と市民福祉の向上を見据え、英断を持って、2市1町の合併を実現させました。その後、新生富士市の初代市長に就任し、人の和を基調とした地域の発展と、新しい都市の基盤づくりに尽力され、現在の富士市の礎を築かれました。
 昭和44年衆議院議員に初当選し、6期16年余りにわたり、国政に参画しました。昭和61年には静岡県知事に就任し、2期7年にわたり、卓越した政治手腕を発揮し、静岡空港、富士山こどもの国の建設など21世紀に向けた取組をすすめ県土発展に寄与しました。
 氏は常に郷土の発展と地域住民の福祉向上を願い、高い識見と豊かな経験をもとに、富士市発展のために尽力されました。

[主な経歴]
昭和39年~41年 吉原市長
昭和41年~44年 富士市長
昭和44年~61年 衆議院議員
昭和49年~50年 国土政務次官
昭和51年 労働政務次官
昭和55年~56年 国務大臣・建設大臣
昭和61年~平成5年 静岡県知事

平成18年 富士市名誉市民となる
平成30年8月 逝去

[主な受賞歴]
昭和35年 日本赤十字社金色有功章
昭和35年 紺綬褒章
昭和40年 紺綬褒章飾版
昭和63年 勲一等瑞宝章
平成8年 富士市長表彰(特別功労表彰)

齊藤 知一郎氏(昭和36年2月20日決定・吉原市)

 齊藤氏は、製紙会社の経営を通し地元産業発展の基礎をつくりあげたほか、吉原商工会議所会頭として地域経済の伸展に寄与されました。
 また、地方教育の発展にも尽力され、特に、氏が学校経営に拠出した経費は莫大なものであり、現在の吉原工業高校の誕生に多大な貢献をされました。
 さらに、戦後まもなく吉原病院の経営が困難になったとき、氏は理事長に推されると、病院の増改築や優秀な医師を招くなどして、再建に全力を尽くし地域医療の維持に寄与したほか、昭和幼稚園の園舎一式の寄贈及び市立体育館建設への寄附等を行い、大きな功績を残されました。

[主な経歴]
昭和2年 昭和製紙株式会社設立。取締役社長就任
昭和13年 大昭和製紙株式会社設立。取締役社長就任
昭和18年 財団法人田子浦高等学校を創立運営
昭和25年 富士南部商工会議所会長就任
昭和25年 財団法人恵愛会吉原病院理事長就任
昭和29年 吉原商工会議所会長就任
昭和29年 国際商業会議所理事就任

昭和38年2月 逝去
昭和38年2月 名誉市民となる

[主な受賞歴]
昭和28年 緑綬褒章
昭和34年 藍綬褒章
正五位勲三等旭日章

金子 彦太郎氏(昭和38年12月4日決定・吉原市)

 金子氏は、農業に対して高い関心を持ち郷土の農業振興を図るため、昭和放水路の完成をはじめ幾多の農地改良事業に尽力されました。
 また、大正10年の今泉村議会議員をはじめ静岡県議会議員、今泉村長に当選され、昭和17年衆議院議員に初当選し国政に参画されました。
 昭和27年11月吉原市長に当選した氏は、市政の刷新を志し合併の大事業を円滑に行い、吉原市の基礎を固めました。また、造林事業の育成強化に努めるなど、自治体の恒久財源を確立し、地方住民の福祉増進を図り、積極的に地方自治の進展に多大な貢献をされました。

[主な経歴]
大正10年~昭和17年 富士郡今泉村議会議員
昭和2年~昭和17年 静岡県議会議員
昭和10年~昭和17年 富士郡今泉村長
昭和17年~昭和20年 衆議院議員
昭和27年~昭和38年 吉原市長

昭和38年12月 逝去
昭和38年12月 名誉市民となる

[主な受賞歴]
昭和31年 藍綬褒章
昭和38年 黄綬褒章
昭和38年 正五位勲四等旭日小授章

渡井 八郎冶氏(昭和41年3月22日決定・吉原市)

 渡井氏は、今泉村議会議員、吉原町議会議員の公職をはじめ、沼津税務署各種調査委員や静岡県農地委員を歴任されました。この間、資財を公共団体に寄附、または公益のために提供され、住民の福祉向上に寄与されました。
 氏は、特に多年育英事業に専念し、今泉小学校の建設をはじめ、県立富士中学校の新設に多額の資財を提供し、教育振興にも貢献されました。
 その他、富士南部商工会議所副会頭に就任以来14年にわたり、会頭を補佐して地方商工業の指導育成に取り組まれました。昭和36年には吉原商工会議所会頭に就任し、中小企業従業員の待遇改善に尽力されました。

[主な経歴]
明治37年 星一呉服店経営
大正12年 富士郡今泉商工会長就任
昭和8年 富士郡今泉村議会議員当選
昭和17年 富士郡吉原町議会議員当選
昭和21年 富士南部商工会議所副会頭就任
昭和21年 吉原魚市場取締役社長就任
昭和26年 株式会社星一取締役会長就任
昭和28年 岳南鉄道株式会社監査役就任
昭和29年 吉原商工会議所副会頭就任
昭和36年 吉原商工会議所会頭就任

昭和41年3月 名誉市民となる
昭和50年5月 逝去

[主な受賞暦]
昭和39年 藍綬褒章
昭和40年 勲五等瑞宝章

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用語解説については、「Weblio」までお問い合わせください。

お問い合わせ

市長公室秘書課

電話:0545-55-2703
ファクス:0545-53-6330
メールアドレス:hisho@div.city.fuji.shizuoka.jp

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