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吉永北地区の歴史と見どころ

吉永北地区の歴史

吉永北地区は富士市の北東にあり、海抜は概ね200メートルと高い位置になります。
北には霊峰富士をいただき、東には愛鷹連山の山々、南を見ると駿河の海が一望できる自然豊かな風光明媚な場所です。ただし標高が高く霧も出やすい地区であり、きれいな景観が見られないこともあります。
1万五千年ほど前から人が住んでいた地区で、旧石器時代から弥生時代に至るまでの遺跡や出土品が発見されています。
建久4年(西暦1193年)には曽我兄弟の仇討ちでも有名な、源頼朝の富士裾野での大巻狩りが行われた際には、鵜無ケ淵(鵜の居ない川)や勢子辻(勢子を集めた場所)、間門(狩場の入り口)など、これにちなんだ地名が多くつけられました。戦国時代には甲斐武田を所縁とする者の移住もあり、この頃に今の吉永北地区各集落として開村、形成されました。吉永地区南北再開発により「吉永郷」の名づけがされています。もともとの桑崎町、石井町、間門町、鵜無ケ淵町(1丁目、2丁目)、勢子辻町の4町内の他、昭和40年代に入り陽光台団地(東町、南町、西町)3町内が加わり9町内となりました。

平成13年刊行 吉永郷土研究会「吉永北地区の郷土誌」

吉永北地区の見どころ

猿棚の滝

(写真)猿棚の滝

吉永北地区を流れる赤渕川は愛鷹山の呼子岳西を源として、富士岡花守で沼川に合流する全長13キロメートルほどの一級河川です。吉永北を含むこのあたりの土地は赤土が多い場所で、雨後の水は赤土の色となることから赤の文字が使われていると言われます。
赤渕川には多くの滝(認定外滝を含む)があり、富士市の中でも有数の景観があります。
その中の一つが猿棚の滝です。大正10年9月11日、猿棚の滝に児童文学の創始者である巌谷小波が立ち寄り、「大瀧や 猿が塒の 玉簾」という句を残したと言われています。この滝は雨が降った後にしか見られない幻の滝でもあります。運が良ければ巌谷小波が見た風景に出会えるかもしれません。

鵜無ケ淵公園

(写真)鵜無ケ淵公園入口

鵜無ケ淵公園は昭和63年に移転新築となった吉永第二小学校跡地に建設された公園です。吉永北地区では一番大きい公園で、普段から子供の遊び場や地域住民の散歩コースとして親しまれています。
毎年3月に行われる菜の花の里祭りの会場となっており、その頃には地域住民の育てた菜の花と河津桜が満開となり見頃を迎えます。

一万歩ウォーキング 吉永北「みちしるべと史跡めぐりコース」

(写真)間門峰山遺跡

上記で紹介した見どころ以外にも吉永北地区には多くの見どころや史跡が点在しています。一万歩ウォーキング 吉永北「みちしるべと史跡めぐりコース」では、健康的にウォーキングをしながらそれらを見て回ることができます。詳しくは下記のリンクをご覧ください。

お問い合わせ

吉永北まちづくりセンター(鵜無ヶ淵162番地の1)

電話:0545-21-3559
ファクス:0545-23-0401
メールアドレス:c-yoshinagakita@div.city.fuji.shizuoka.jp

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