「ロマンと泉の郷」である原田・吉永地区は、豊富な湧水に恵まれ、いたるところでその水の流れを見ることができます。岳南鉄道の駅から歩いて回れるウォーキングコースが設定され、遠くからのお客様にも足を運んでいただいている場所です。
原田公園に隣接する神社です。
源平合戦のときに兵糧を置いたので飯守から飯森と名前が変化した、あるいは飯森山の神さまを祀ってるからこの名前になった、かぐや姫の下卑を祀るとも言われます。名前の由来には諸説ありますが、古くからある神社です。
米すり石は、天明飢饉の折りに、この石で米をすってお粥を作り施したと伝えられている石です。清岩寺の入り口右側にあり、裏側に、米をすった跡のようなくぼみがあります。
治承4年(1180年)富士川合戦の折に頼朝が将兵を笛で呼び集めたことからこの名前があります。石碑は、大正13年くらいに旧原田村の青年団が建てたものです。
道が狭く往来の激しい通りになってしまったので、清岩寺の前に移設されました。
源頼朝が金の玉を奉納したとの謂れがありますが、明治時代以後どこかへなくなってしまったそうです。
かぐや姫の養父を祀っているともいわれる歴史の古い神社です。
豊富な湧水があり、松原川の水源。
吉原中島町内をめぐって川に流れ込んでいます。水の半分は御殿・吹上水源地に送られています。
見た目では分かりませんが、歩いている道の下を水が流れているそうです。
中島児童遊園地内の池に石碑があり、その向かい側にお堂があります。
祭神は大山祇神と木花咲耶姫命など、山の神を祭っていましたが、後に天神社、子の神社、社護神社、小田巻神社の4社を合祀したことから、五社の宮神社、五社神社と呼ばれるようになりました。10年程前からお日待ちの例祭が復活しました。
五社とは別に、庚申さん(こうしんさん)と呼ばれる別社があります。
新しく作り直された祠です。かつて馬は重要な労働力として大事にされ、手厚く祀られました。
周囲は交通量が多いので注意して見てください。
ここから滝川に沿って歩行者専用の道が永明寺入り口まで続いています。
枝垂桜がきれいで、ロケ地にもなりました。
不動像に水が流れ落ちていて、この水をつけると、いぼが取れるという話が伝わっています。周囲の湧水と水質が違うのではないかといわれていますが、はっきりとはわかっていません。
足元が滑りやすいので不動像に近づくときはご注意ください。
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