富士市
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富士市名誉市民

 富士市民または富士市に関係の深い人で、産業・学術・技芸などにより、市勢の興隆と社会文化の進展に貢献し、もしくは富士市の功労者として、その事績が特にすぐれ、住民の尊敬の的と仰がれる人に富士市名誉市民の称号を贈り、その人の事績と名誉を顕彰することを目的としています。
 昭和41年の合併前に吉原市名誉市民として3人、合併以降に富士市名誉市民とし2人に称号をお贈りしています。
齊藤 知一郎氏(昭和36年2月20日決定・吉原市)
【写真】齊藤知一郎氏
 齊藤氏は、製紙会社の経営を通し地元産業発展の基礎をつくりあげたほか、吉原商工会議所会頭として地域経済の伸展に寄与されました。
 また、地方教育の発展にも尽力され、特に、氏が学校経営に拠出した経費は莫大なものであり、現在の吉原工業高校の誕生に多大な貢献をされました。
 さらに、戦後まもなく吉原病院の経営が困難になったとき、氏は理事長に推されると、病院の増改築や優秀な医師を招くなどして、再建に全力を尽くし地域医療の維持に寄与したほか、昭和幼稚園の園舎一式の寄贈、さらには吉原市立体育館建設に貢献されるなど、大きな功績を残されました。

[主な経歴]
昭和2年 昭和製紙株式会社設立。取締役社長就任
昭和13年 大昭和製紙株式会社設立。取締役会長就任
昭和18年 財団法人田子浦工業学校を創立運営
昭和25年 富士南部商工会議所会頭就任
昭和25年 財団法人恵愛会吉原病院理事長就任
昭和29年 吉原商工会議所会頭就任
昭和29年 国際商業会議所理事就任

昭和36年2月 70歳(満年齢)にて逝去
昭和36年2月 名誉市民となる

[主な受賞歴]
昭和28年 緑綬褒章
昭和34年 藍綬褒章
金子 彦太郎氏(昭和38年12月4日決定・吉原市)
【写真】金子彦太郎氏
 金子氏は、農業に対して高い関心を持ち郷土の農業振興を図るため、昭和放水路の完成をはじめ幾多の農地改良事業に尽力されました。
 また、大正10年の今泉村議会議員をはじめ静岡県議会議員、今泉村長に当選され、昭和17年衆議院議員に初当選し国政に参画されました。
 昭和27年11月吉原市長に当選した氏は、市政の刷新を志しました。数々の町村合併という大事業を円滑に行い、吉原市の基礎を固めました。また、造林事業の育成強化に努めるなど、自治体の恒久財源を確立し、地方住民の福祉増進を図り、積極的に地方自治の進展に多大な貢献をされました。

[主な経歴]
大正10年?昭和17年 富士郡今泉村議会議員
昭和2年?昭和17年 静岡県議会議員
昭和10年?昭和17年 富士郡今泉村長
昭和17年?昭和20年 衆議院議員
昭和27年?昭和38年 吉原市長

昭和38年12月 逝去。享年81歳
昭和38年12月 名誉市民となる

[主な受賞歴]
昭和31年 藍綬褒章
昭和38年 黄綬褒章
昭和38年 正五位勲四等旭日小授章
渡井 八郎治氏(昭和41年3月22日決定・吉原市)
【写真】渡井八郎治氏
 渡井氏は、今泉村議会議員、吉原町議会議長の公職をはじめ、沼津税務署各種調査委員や静岡県農地委員を歴任されました。この間、私財を公共団体に寄附、または公益のために提供され、住民の福祉向上に寄与されました。
 氏は、特に多年育英事業に専念し、今泉小学校の建設をはじめ、県立富士中学校の新設に多額の資財を提供し、教育振興にも貢献されました。
 その他、富士南部商工会議所副会頭に就任以来14年にわたり、会頭を補佐して地方商工業の指導育成に取り組まれました。昭和36年には吉原商工会議所会頭に就任し、中小企業従業員の待遇改善に尽力されました。

[主な経歴]
明治37年 星一呉服店経営
大正12年 富士郡今泉商工会長就任
昭和8年 富士郡今泉村議会議員当選
昭和17年 富士郡吉原町議会議員当選
昭和21年 富士南部商工会議所副会頭就任
昭和21年 吉原魚市場取締役社長就任
昭和26年 株式会社星一取締役会長就任
昭和28年 岳南鉄道株式会社監査役就任
昭和29年 吉原商工会議所副会頭就任
昭和36年 吉原商工会議所会頭就任

昭和41年3月 名誉市民となる
昭和50年5月 逝去。享年92歳

[主な受賞暦]
昭和39年 藍綬褒章
昭和40年 勲五等瑞宝章
昭和50年 従六位
戸塚 洋二氏(平成14年12月4日決定)
【写真】戸塚洋二氏
 戸塚氏は、昭和62年、岐阜県神岡町(現:飛騨市)に設置した素粒子観測施設カミオカンデにおいて、ノーベル物理学賞に輝いた小柴昌俊氏や梶田隆章氏とともに、太陽系の外から飛来した超新星爆発によるニュートリノの観測に世界で初めて成功しました。
 また、ニュートリノ天文学という新しい研究分野の誕生に貢献され、太陽から飛来するニュートリノの観測にも成功しました。
 さらには、スーパーカミオカンデを建設し、ニュートリノ振動実験に成功。ニュートリノに質量があることを証明し、文化勲章など数々の賞を受賞されました。
 科学の発展と国際社会の発展に貢献する姿勢への信望は厚く、国内外の物理学界のみならず多くの国民に賞賛されています。

※ニュートリノとは
 物質を構成している最小の粒子を素粒子と言います。原子核の陽子や中性子を構成する粒子の仲間(クォーク)と、電子の仲間(レプトン)が素粒子と考えられています。レプトンのうち、電気を持たない粒子をニュートリノと呼んでいます。

[主な経歴]
昭和17年 富士市富士岡生まれ
※その後、吉永村立吉永第一小学校、吉原市立穆清(ぼくせい)中学校、静岡県立富士高等学校を卒業後、東京大学へ入学。同大学大学院理学系研究科博士課程修了。
昭和47年10月 東京大学理学部助手
昭和54年5月 東京大学理学部助教授
昭和62年5月 東京大学理学部教授
昭和63年4月 東京大学宇宙線研究所教授
平成7年4月?平成14年9月 東京大学宇宙線研究所附属神岡宇宙素粒子研究施設長
平成9年4月?平成13年3月 東京大学宇宙線研究所所長

平成14年12月 名誉市民となる
平成20年7月 逝去。享年67歳

[主な受賞歴]
昭和63年・平成11年 朝日賞
平成元年 アメリカ天文学会ロッシ賞
平成3年 井上学術賞
平成7年 ヨーロッパ物理学会特別賞
平成13年 紫綬褒章
平成14年 アメリカ物理学会パノフスキー賞・藤原賞・文化功労者
平成16年 文化勲章
平成19年 ベンジャミン・フランクリン・メダル受賞
平成20年 従三位
齊藤 滋与史氏(平成18年9月11日決定) 
【写真】齊藤滋与史氏
 吉原市長であった齊藤氏は、昭和41年、将来の郷土の発展と市民福祉の向上を見据え、英断を持って、2市1町の合併を実現させました。その後、新生富士市の初代市長に就任し、人の和を基調とした地域の発展と、新しい都市の基盤づくりに尽力され、現在の富士市の礎を築かれました。
 昭和44年衆議院議員に初当選し建設大臣も務められ、6期16年余りにわたり、国政に参画しました。昭和61年には静岡県知事に就任し、2期7年にわたり、卓越した政治手腕を発揮し、静岡空港、富士山こどもの国の建設など21世紀に向けた取組をすすめ県土発展に寄与しました。
 氏は常に郷土の発展と地域住民の福祉向上を願い、高い識見と豊かな経験をもとに、富士市発展のために尽力されました。

[主な経歴]
昭和39年?41年 吉原市長
昭和41年?44年 富士市長
昭和44年?61年 衆議院議員
昭和49年?50年 国土政務次官
昭和51年 労働政務次官
昭和55年?56年 国務大臣・建設大臣
昭和61年?平成5年 静岡県知事

平成18年 富士市名誉市民となる
平成30年8月9日 生滅同日をもって100歳(満年齢)で逝去

[主な受賞歴]
昭和35年 日本赤十字社金色有功章
昭和35年 紺綬褒章
昭和40年 紺綬褒章飾版
昭和63年 勲一等瑞宝章
平成8年 富士市長表彰(特別功労表彰)
平成30年 従三位
■お問い合わせ
市長公室秘書課
電話:0545-55-2703
メールアドレス:hisho@div.city.fuji.shizuoka.jp

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